第一回 プロ野球バッヂ パリーグ編 <その1>
天袋、家の掃除をしてみれば出るは出るは、あの日のお宝?
誰が行ったか知らないが「旅の土産のキーホルダー」
叱られて、取り上げられた「プラモデル」
勉強用、買って使わず「ヒーローノート」
誰が聴いたかビックスター「昭和歌謡のSP盤」
娯楽といえばプロ野球、知らぬ球団「バッヂ」をつけて草野球
あの頃、
捨てずに残したお宝も、今じゃ「家のじゃまけモノ」
人生50年以上生きていれば、引っ越しの一・二度は当たり前のことですね。引っ越しの準備段階は意外と早くからするんですが、最後は必ず時間切れで「エィ!ヤー!」で整理もせずに引っ越し屋さんの車の中へ・・・(笑)。引っ越しを終えて数年経ち、「これって、なんだろ?」と古い行李(こうり)を開けてみれば! 出るは出るはの昭和のガラクタが! 30年前鬼籍に入った母親が、生前、仕舞い込んでいたと思われる「昭和の欠片」たち。
その中で今回は「あの懐かしいプロ野球球団のバッヂ」を紹介です。きっと、叱られて取り上げられたんだろうな(苦笑)、母も返すつもりだったのを忘れて50年近く行李で眠っていたんだろう!
パシフィックリーグ・南海ホークス 1938~1988年 <現・福岡ソフトバンクホークス>
まず一球団目は、あの名将「ノムさん」こと野村克也さんが長年、選手・監督として所属した球団です。親会社が「南海電鉄」で、阪神・阪急に次いで1938年に関西3球団目として誕生した球団です。
球団旗の鷹のマークがカッコいい! 南海電車のボディーカラーのグリーンとよく映えています。ひとつ目のバッヂは、きっとプロ野球ガムかのオマケだったかな・・・、ズシリと思いステンレス系で出来ています。
2つ目のバッヂは、当時(昭和46年ごろ)の10円ガチャポンで出てきたものですね。このガチャポンもオイルショックで20円に値上がりしたのを覚えています。このバッヂはペラペラの合金系で、安物っぽさがありますね。
パシフィックリーグ・阪急ブレーブス 1947~1988年 <現・オリックス・バファローズ>
2球団目は、1936年に阪急電鉄を親会社として発足した「阪急軍」、1947年に「阪急ブレーブス」に改称。この球団にも現代に語り継がれる名称がおられましたね、阪急の黄金期を築いた西本幸雄さん。そして世界の盗塁王・福本豊さんが所属していたチームです。
ヘルメット形のバッヂは何で手に入れたか全然覚えていない・・・、この「急」のロゴマークは何となくカッコ悪いですよね(すみません)。それに比べ、ガチャポンのバッヂ(2枚目)は「勇者」のマークが入っていて強そうなイメージ。
パシフィックリーグ・太平洋クラブライオンズ 1973~1976年 <現・埼玉西武ライオンズ>
次は超~レアな球団、4年で球団名がなくなった「太平洋クラブ」。前身は無茶苦茶強かった「西鉄ライオンズ」、あの「黒い霧事件」の後を引き継いだ球団。でも、後で知るのですが「太平洋クラブ」は親会社ではなくスポンサーだったのでした。今で言うネーミングライツですね。1977年には、球団名「クラウンライター」に変わり、1979年に現在の「西武ライオンズ」になりました。
チョ~レア球団、こんなのが残っているとは奇跡だ(笑)。きっとこれは、オイルショック後に20円になったガチャポンだと思います。