vol.4
天皇御陵踏破の旅・前日譚

旅を始める前に・リレーエッセイ第四回
 

天皇陵

平成二三年にとある神道系の仕事に関わった、五十路を迎えた冬に。今考えてみれば、全てのスタートはここからだったのだろう。

どのような仕事(撮影)なのかは、神道系のため詳しく書けないが、日本人なら誰もが知る大きなお宮の撮影に携わらせて頂いた。

その現場で次から次に現れる被写体は、日本の古今東西の叡智を駆使した細工の一点物ばかり。その美しさといえば、私が商業写真を生業にしてきた三〇年間に出会ったモノを遥かに凌駕していた。目の前にある被写体は、延喜式に則り基本とし、どうしても足らない部分・材質(分からない部分)などは現在の技術で補うという、約一二〇〇年間の叡智の連続性の結晶なのだと感じた。

ただ、撮影中は戸惑うことだらけだった(苦笑)、名称の旧漢字が読めなかったり、色の名前も分からない・・・ 日本の伝統色なのに。
 

天皇陵

そうこうして、平成二六年一月に全ての撮影が終了した。だが、なにか心に引っ掛かりがあった。それは「日本人」なのに『日本』を何も知っていなかったことだ。学生時代から五十路を過ぎるまで『日本』を見て見ぬ振りをしてきたのだ・・・・。戦後世代の同調圧力だったり、知識人ぶった浅いイデオロギーに縛られていた結果だ。

その過ぎ去った時間と知識を埋めるために、撮影中に何度も話されていた『延喜式』の扉を開いた。

『延喜式』に書かれていることを、どれだけ理解できるかは分からないが、五〇過ぎの手習いで読み進めた。もちろん『古事記』や『日本書紀』もだ。だが、悲しいかな、そこに書かれている内容の半分も理解できないのだ。ただ、唯一感じとれたことは、この延喜式と記紀は大王を中心とした日本の成り立ちの書なのだ。即ち『天皇』そのものなのだ。

誤解しないで欲しい、私は俗にいう「右」でも「左」でもない(笑)、ただ純粋な日本人としてそんな風に感じたのだ。

それからまた数年が過ぎ、五〇も半ば過ぎ還暦を前に「自分自身にも、子供たちにも、日本人とは何かを残したい」と、この旅を始めることにした。
 

天皇陵

課題として「何を写し残すか」を考えた、ただの御陵訪問写真では納得できない、写真家としても構図やアングルが似通う写真は避けたい。そんときに記紀に書かれた、歴代天皇の政(まつりごと)が思い浮かんだ。政が行なわれた皇居、すなわち宮跡(伝承地)も訪問することで過去と現在、そして未来に繋がるのではないかと。

なぜ、過去から現在、未来へと繋がるかというと、宮跡近くに残された「地名」や「神社」には、和風諡号との関連性のある地名などがある、それだけではなく神社で古くから行なわれる祭には、各天皇の個性をも垣間みることができる。もちろん、この考えは私個人の感じ方だが(笑)。学者からいわせれば笑止千万だろう。ただ私にとって、二六〇〇年の時間を唯一繋げる細い絹の糸となった。
 

天皇陵

日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、二六〇〇年を遡る時空の旅への出発だ。もう一度いう、イデオロギーなど関係無い、ただただ、今そこに残る時間の集積を写し今と未来に残したい、日本人であるかぎり。

文・写真 赤木賢二

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