天皇陵

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第一五二回 恒貞親王(五三代 淳和天皇・第二皇子)
天皇陵・外伝 廃太子編-04
恒貞親王墓(入道塚陵墓参考地)

恒貞親王は五三代・淳和天皇と皇后・正子内親王の第一子として誕生する。異母兄弟に兄の・恒世親王がいたが、皇太子に立てられたその日に辞退した。その後、数奇な運命に翻弄され皇太子になりったが廃太子された。そして出家して恒寂と号し「嵯峨大覚寺」の初祖となった。
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第一五一回 他戸王(四九代 光仁天皇・皇子)
天皇陵・外伝 廃太子編-03<後編>
宇智陵 (光仁天皇皇后陵)

皇族殺害の嫌疑をかけられ皇籍を剥奪された上、息子である他戸王と同日共に薨去した「井上内親王(光仁天皇・皇后)」の御陵へ参拝。二人の薨去後、天災地変が数多く起こり、呪いではないかと言われた。そのため「井上内親王」を再び皇后と追号し、御墓を山陵と追称とした。
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第一五〇回 他戸王(四九代 光仁天皇・皇子)
天皇陵・外伝 廃太子編-03<前編> 他戸親王墓

今回の廃太子のお墓は、三八代・天智天皇の孫で、四九代・光仁天皇の皇子「他戸王」の御墓へ参拝。その御墓は、奈良県五條市御山町の田園にある丘の上にあり、裏は集落の集合墓地になっている。この御墓を整備すると必ず雨が降ると言われている。
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第一四九回 某王墓(四五代 聖武天皇・第一皇子)
天皇陵・外伝 廃太子編-02

今回の廃太子のお墓は、四五代・聖武天皇の第一皇子として727年に生まれ翌年に薨御した「某王」の墓「那富山墓」へ参拝。近鉄・JR奈良より奈良交通バスに乗車「法蓮佐保山三丁目」下車、徒歩約300mと近い。だけど、柵に囲まれていて拝所に近づくことができない・・・。
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第一四八回 邦良親王墓(九四代 後二条天皇・第一皇子)
天皇陵・外伝 廃太子編-01

南北の争いのなか二七歳で薨御した皇太子の御墓。「邦良親王」は「九四代・後二条天皇」の第一皇子、早くから「大覚寺統(南朝)」の正嫡として期待され養育されていた。その御墓は父帝「後二条天皇」の「北白河陵」拝所横にある、墓形は方丘とされている。
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第一四七回 聖徳太子(厩戸皇子)
丹後町間人周辺散策(京丹後市)<後編>
天皇陵・外伝編-06

前回に引き続き、聖徳太子母子の伝説の地へ天皇陵・外伝旅。間人の名のついた間人漁港は、丹後地方で最大の漁港。水揚げされたズワイガニの一部は「間人ガニ」というブランドで出荷されている!近くには、大型の古墳があり全国ランクにすれば、5位から6位に該当する巨大古墳。
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第一四六回 聖徳太子
間人皇后・聖徳太子母子像(京丹後)  <中編>
天皇陵・外伝編-06

今回は聖徳太子母子の伝説の地へ天皇陵・外伝旅。穴穂部間人皇后・聖徳太子親子の伝説を追いかけて京丹後へ間人港。母子像が眺める「立岩」、この辺りはユネスコが認定している「山陰海岸ジオパーク」。海水の透明度が高いのに驚いた。
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第一四五回 聖徳太子(厩戸皇子)
磯長墓(叡福寺北古墳) <前編>
天皇陵・外伝編-06

聖徳太子は三一代・用明天皇の第二皇子であり、三三代・推古天皇を叔母に持つ、後に推古天皇の皇太子となるが実態は謎に秘められている。その墳墓は大阪府南河内郡太子町太子の叡福寺境内にあり、三骨一廟とも呼ばれ、太子の他に穴穂部間人皇女(皇子母)と皇子妃が眠る、三者の合葬墓である。
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第一四四回 飯豊青皇女(飯豊天皇)
青海神社 <後編>
天皇陵・外伝編-05

今回の天皇御陵踏破の旅・外伝は幻の女帝「飯豊天皇」を追いかけ、福井県大飯郡の神社にたどり着く。JR西日本小浜線「三松」駅より約1kmに「飯豊天皇」を祭神と伝わる青海神社が鎮座。国学者・本居宣長の古事記伝に『履仲天皇の皇女または孫と言われる「飯豊青海皇女」を祀る』と記され、祭神として加わった。
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第一四三回 飯豊青皇女(飯豊天皇) 忍海角刺宮跡 <中編>
天皇陵・外伝編-05

今回の天皇御陵踏破の旅・外伝は幻の女帝「飯豊天皇陵(埴口丘陵)」より一駅隣の「忍海角刺宮跡」に建つ「角刺神社」へ参拝。「角刺(つのさし)神社」は、「飯豊青皇女」が在位しない天皇の代わりに政を司った「忍海角刺宮跡」と伝わっている。その跡地に「角刺神社」が鎮座している。
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