世界拳闘紀行 第四回 キューバ前編

WORLD BOXING JOURNEY

文:コビトロック
イラスト:kimura

拳闘紀行第四回
キューバと言えばこれでしょ?

第四回です。今回はキューバ。筆者の貧困な知識でキューバのイメージを挙げると…まず南国でしょ(当たり前)。んでチェ・ゲバラ!最近は見ないけど、勝手にTシャツに顔使われた回数世界暫定1位? だってイケメンだもん、イケメンは政治思想を超える。または葉巻?ヘミングウェイ? 50年代のクラシックカーが現役で走ってるのがオシャレ(新車が買えないから直し直し乗っている事情あるのだが)!
それとやっぱり、人口で考えたら異常にスポーツが強い国! て印象ですわ。野球に詳しくない自分でも強豪国で五輪の度に話題になるのは知っている。陸上も強かった。そういえば地味に柔道も強い。しかし何といってもボクシングでしょ。

国のボスがボクシング好きって良いっすね

カストロ議長がボクシング好きだったということもあり、国技の野球の次にボクシングが盛んといわれるほどで、キューバ=強い。とボクシングファンには刷り込まれている。もう洗脳レベルで。旧ソと同じく、社会主義国家なのでプロは存在せず。その代わり、ソ連の科学的指導法を取り入れた練習と育成に加え、DNAに刻まれているサルサのリズムを活かしたリズミカルな動き(これは勝手な印象)のハイブリッドボクシングでアマボク超強豪国として君臨。「金以外は敗北!」と叩き込まれたボクサー達は国際大会で圧倒的な勝負強さを発揮。五輪でも金だらけやもん、41個(銀は19・銅は18)!!

キューバ
大昔はプロもいたよ

とはいえ、1959年にキューバ革命が成立する前はアメリカ人の人気旅行先でもあったので、アメリカでのボクシング人気の高まりとともに1920年代には既にプロ選手も結構な数がいたらしい。

そんな中、1931年にキューバ初の世界王者に輝いたのがフェザー級のキッド・チョコレート(本名:エルヒオ・サルディーニャス・モンタルボ)。彼の試合を観たファンが言った「何て美しいチョコレート色の肌のボクサーなんだ!」がリングネームとして定着したとか。アマチュア100戦100勝(86KO・RSC)という戦績をひっさげプロデビュー。本場ニューヨークでタイトル獲得。その長身から繰り出すジャブとストレートを起点した端正なファイトスタイルは、後のオールタイムPFPボクサー拳聖シュガー・レイ・ロビンソンも絶賛したといわれる。

「ボロ・パンチ」ってしょぼそうな名前の必殺技だけど

1950年代にウェルター級王者になったのがキッド・ギャビラン(Zガンダムに出て来る可変モビルスーツみたいな名前)。シュガー・レイ・ロビンソンに挑んだ初挑戦は王座奪取ならなかったものの、二度目の挑戦でタイトル獲得。ギャビランといえば「ボロ・パンチ」といわれた必殺アッパーが有名。故郷キューバでさとうきびをボロ・ナイフ(なた)で狩る際の動きからヒントを得たとか。今映像で観ると、これ? なのかなぁ…やたらモーションの大きいアッパー。彼は当時勃興したTVのボクシング番組の人気者だったらしいが、画面越しでも分かり易いパンチ。つまりTV映えする。
TV人気で金を稼いだものの、引退後に革命が起きて財産没収されたという。辛い…。

キューバ
シュガーはロビンソンやレナードだけじゃねえ

その後もプロの世界王者が誕生するも、革命の嵐に巻き込まれ財産没収や亡命を余儀なくされたり、波乱の人生を送った選手もいる。
シュガー・ラモスは革命前からプロとして活躍するも、革命後は妻子を残しメキシコに亡命。63年に世界フェザー級王座を獲得。このとき対戦した選手含め、2人の対戦相手が試合後死亡しているので強打者として恐れられた。ただ「殺人パンチャー」というニックネームは今ならアウトとでしょ…シャレなってない。「俺はリングに上がったら相手の頭をぶっ飛ばすことだけ考える。もしオカンがリングに上がって俺に向かってきたら、俺はオカンをぶっ飛ばす」という物騒なコメントもニックネームのイメージにぴったりだが。関光徳と対戦しているので日本にも馴染みの王者。

指名挑戦がなかった時代に長らく1位で無冠の帝王だったらしい

同じくプロ途中で革命により、身重の妻を残しメキシコへ亡命した名選手がホセ・ナポレス。
王者になる前に上記シュガーvs関戦の前座として来日。日本人選手相手に1回KO勝ち。日本人選手のセコンドのエディ・タウンゼント曰く「1ラウンドが始まりリングを降り、振り返りリングを見たら、もう倒されていた」とか。後にウェルター級王座WBA9度、WBC10度防衛の名王者だもん。72年には再来日、龍反町とエキシビジョンマッチを行っている。
バターのように滑らかな動き。から付いた「モンテキーヤ(バター)」って愛称もカッコイイ。

ヘミングウェイ
アマボク史上最高の英雄?アリと対戦の噂も?

アマチュアに話を戻すと、キューバボクシングの英雄どころか、アマボク最大の英雄?ともいえるのがヘビー級のテオフィロ・ステベンソン!後のプロ世界王者3人を撃破するなど圧倒的な強さを誇った。五輪もあっさり3連覇(72年、76年、80年)、4連覇も確実といわれながら84年ロス五輪をキューバがボイコットしたので幻に終わる(因にその後の86年世界選手権も金メダル)。
突出しすぎた実力の為、当時プロの世界王者だったモハメド・アリと対戦の話も出ていた。これ、噂じゃなく当時のプロモーターが本当に進めていたとか。アマは3Rプロは15R。なので3Rを5日間で15Rで行う話だったとか。そんなんステベンソン有利でしょ…。結果はご存知の通り実現はせず。
何度も亡命してプロにならないか?と勧誘あったものの「祖国も家族も愛している。国を捨てプロになる必要無し」断り続けた。YouTubeとかで映像観て!今の目で観ても惚れ惚れするような美しいボクシングです。

まっだまだ五輪連覇ボクサーいる。名付けてキューバ五輪連覇クラブ

そのステベンソンの後継者としてヘビー級で五輪3連覇(92年、96年、00年)したのがフェリックス・サボン。このサボンも後のプロ世界王者を何人も破り、マイク・タイソンとの対戦話が浮上しプロ勧誘され続けたらしいが「プロは金とビジネスだけで汚い。それに比べアマチュアボクシングは綺麗で、競技者にとって非常に重要」と断り続けた。
他にもキューバ五輪連覇クラブには、アンヘル・ヘレラ(76年フェザー級、80年ライト級)、マリオ・キンデラン(00年、04年:ライト級)、エクトール・ビネント(92年、96年:Lウェルター級)、ロベイシ・ラミレス(12年フライ級、16年バンタム級)、アルレン・ロペス(16年ミドル級、20年Lヘビー級)、フリオ・ラクルス(16年Lヘビー級、20年ヘビー級)、そしてもう一人ギジェルモ・リゴンドー(04年、08年:バンタム級)がいる。

キューバ
直近の五輪、東京五輪でも当たり前のように金金金金!半分の階級制覇

21年に行われた東京五輪でもまだまだキューバの実力は抜きん出ていた。男子8階級のうち半分の4階級で金!!
ライト級アンディ・クルスがアメリカのキーショーン・デービスと戦った決勝は至高の一戦、現在アマボクPFPに相応しい究極の試合。1Rにクルスが先制するも、2Rにはデービスの右でクルスの動きを止める!しかし3Rで最強クルスが競り勝つ!この一戦がこの日本で行われているのに無観客だったのは正直寂しい。ほんまコロナめ…。しかしこれがネットで無料で観られる現代にも感謝でした。
Lウェルター級ロニエル・イグレシアス(12年でも金)。Lヘビー級アルレン・ロペスとヘビー級フリオ・ラクルスはこれで五輪連覇クラブの一員。

アマチュアボクシングにもっと興味持とうと思いますです。はい

考えたら普段ボクシング=プロ。な感じで追っかけているが、ボクシングは実力的に「プロ>アマ」では決してない。ラウンド数や採点基準の違いもあり、短距離走と長距離走ぐらい違う競技ともいわれるが、共通するのはどちらも素晴らしく魅力的なスポーツということだ。
プロはビッグマッチが、TV局が違うから、プロモーターが違うから、団体が違うから、人気がないから、お金持っていないからetc…で決まらないことが多い。というかほとんどの問題はそれ。ファンからしたら慣れっこでこういうモノだと受け入れてる部分があるけど、改めて考えたら「知るか!!ビジネス以前に最強を決めるスポーツやろ!」と言いたくなる(サボンの言ったプロの汚さの一端はここらにもあるだろう)。
その点、アマは(え〜この大会はアンディ・クルスが出るから嫌や〜)とはいかないし、主要団体が4つあるとかもないので、優勝=世界一。わかりやすい。無名の貧乏な小国の選手も全部勝てば世界一。競技として正しい(勿論変な判定や不透明な代表選出基準もあるだろうし、そもそも運営費や遠征費が出ない等もあるだろうが)。そんなアマはもっと注目されるべきだし、キューバの至宝を見逃すのは勿体ないとボクシングファンとして思うのでありやす。

キューバ
覚悟は良いか?俺は出来てる。な男達の後には引けない生き様

ただ、そんなアマの王者・国の英雄という名誉が具体的な生活の豊かさに直結しているとは限らないキューバ(勿論一般市民よりは豊かだろうが)。世界一のの価値とはこんなものじゃない、もっと報酬を、もっと世界中で認められてしかり!と、国を家族を捨ててまで2つの拳に己を全人生を託して新天地に片道切符で飛び出した男達がいる。

という訳で次回「キューバ後編」では現在に続くキューバボクサープロ転向組のお話に続きます!ではまた!

 
 
後編はコチラ〜っ!↓

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