天袋、家の掃除をしてみれば出るは出るは、あの日のお宝?
誰が行ったか知らないが「旅の土産のキーホルダー」
叱られて、取り上げられた「プラモデル」
勉強用、買って使わず「ヒーローノート」
誰が聴いたかビックスター「昭和歌謡のSP盤」
娯楽といえばプロ野球、知らぬ球団「バッヂ」をつけて草野球
あの頃、
捨てずに残したお宝も、今じゃ「家のじゃまけモノ」
子供たちは「ズッシリ重い」を有り難がる・・・? いらないよキーホルダー。
「いやげ物」キーホルダーの2回目は、中国地方の山口、岡山、広島の3県です。
なぜ、子供たちの「お土産」には「キーホルダー」が多かったのか? 今でも謎だ、少し考察しみた(笑)。
この「いやげ物」をもらい出したのが、昭和高度成長期だ。1964年・東京オリンピック、1970年に大阪国際万博とビックイベントが続いた、経済大国へと走り出した背景があった。家族は大家族から核家族へ、僕たちは「木の机」から「スチール机」、小さな物では「鉛筆」から「シャープペンシル」に移り変わっていった。
この頃から、おもちゃも(特に男子の)セルロイド、ソフトビニール製から鉄製のズッシリ重い「超合金」と言われる「亜鉛ダイキャストパーツ」が使用されているおもちゃ(アニメロボット)が発売された。
そんな「超合金」は子供たちの憧れの的だった。もちろん我が家では、そんな高価なおもちゃなど存在しない(涙)、極一部の富裕層のおぼっちゃまが持っていたくらいだ。その「ズッシリ重い」に目を付けたのが、ずるい大人たちだ!! 子供は「ズッシリ重い」物を有り難がると勝手に思い込み、土産には「かさばらず」「手頃な値段」のキーホルダーが選ばれたのだろう~~。(と、勝手に思っている・笑)
1つ目は山口県萩のキーホルダー、四分割に分けられ名所が刻まれている「萩城跡、東光寺、松下村塾、明神池」と。裏側には、ご丁寧にその名所の地図になっている。誰がこの地図を見て使うのだろうか・・・。
2つ目も山口県、「北長門海岸国定公園」、国の天然記念物指定の「青海島」。ムチャクチャマイナーな所だ(ごめんなさい!)、子供にわかるわけがない・・・。
3つ目は岡山県の「岡山城」と「後楽園」。この頃、お城のプラモデルが流行っていた、その流れでくれたのだろう。大人は浅はかだ、子供の気持ちをわかっていない。
極めつけはこれだ! 広島県宮島キーホルダー。プラスチック製のコインホルダーになっている、それも「5円玉」用の・・・。くれるなら、せめてここに5円玉を満タンに詰め込んでくれよ。