第二三回 日本地図(昭和初期発行)帝国書院
昭和ガラクタノスタルジー「家のじゃまけモノ」

天袋、家の掃除をしてみれば出るは出るは、あの日のお宝?
誰が行ったか知らないが「旅の土産のキーホルダー」
叱られて、取り上げられた「プラモデル」
勉強用、買って使わず「ヒーローノート」
誰が聴いたかビックスター「昭和歌謡のSP盤」
娯楽といえばプロ野球、知らぬ球団「バッヂ」をつけて草野球
あの頃、
捨てずに残したお宝も、今じゃ「家のじゃまけモノ」

「帝国書院 改訂 帝国新地図」のハードカバー表紙

今では役に立たない地図を発見・・・

 終戦記念日近くに見つけてしまった今回の「家のじゃまけモノ」は、昭和一三年二月一七日発行「改訂・帝国新地図」。表紙はハードカバーの上製本で地図ページはフルカラー三三頁、付録(データ)ページがモノクロ一八頁、定価六拾五銭。定価の六拾五銭を現在の価値に換算すれば、約一万から一万五千円! 凄い豪華本なのです。「よくこんな物を残していたんだなぁ・・・」とページを開いてみることにしました(今回はちょっと真面目に・笑)。

表紙・裏には日本帝国の地図、対抗ページは記号の説明。このページを見るだけで、なぜだか鳥肌がたった。

 ページを捲り、ゆっくり眺め、またページを捲る間に年少期の父との一幕を思い出したのです。私の父は大正中期の生まれで、先の大戦に2度ほど出征していました、一度目は開戦まぢかだったと母から聞かされました。2度目は終戦まぢかで内地の兵舎で敗戦を迎えたらしいのです。というのも、父からは一切、戦争(戦地での)体験談を聞けた事がないからです、それが小学校での課題であってもでした。唯一、語ってくれたのは、家族旅行で行った温泉で「軍隊式手ぬぐいの使い方」でした。一本の手ぬぐいで顔と体を洗い、その手ぬぐいで体を綺麗に拭く方法でした(笑)。ちなみに私と父は四八歳違い、世間で言う「みそっかす」なのですね(笑)。

 父に比べ、母は饒舌に戦争を語っていました。「お父さんが出征していない時、深夜、空襲に合い焼夷弾で燃え盛る家から塩壺だけ持って逃げた」とか「日中、機銃掃射され溝に隠れ難を逃れた」とかだ。そして話の最後の決め台詞は「私があの時死んでいたら、あんたは生まれてこんかった」と懐かしい思い出話しです。

近代国家の建設・独立の維持・国民の生活向上、その答えは「富国強兵」だった

見開きカラー・3ページに渡り掲載されている「台湾地方」の地図

 ページを進めていくと、ご維新後1895年(明治二七年)、初めての対外戦「日清戦争」を翌年に勝利。下関条約により、台湾と澎湖諸島が日本に割譲され日本領となりました。当然、昭和初期発行のこの地図帳に・見開きカラー・3ページに渡り「台湾地方」が掲載されています。

 続けて「北海道地方」、その次のページには「樺太地方」が紹介されています。「樺太」は1904年2月(明治三七年)より1905年9月(明治三八年)かけて大日本帝国(日本)とロシア帝国との間で行われた「日露戦争」後、ポーツマス条約により「樺太」の南半分(南樺太)が日本に割譲された領土です。このページはなぜか1ページのみ、極寒の地なのでデータ収集に手抜きがあったのかもしれません(笑)。その後のページには、この戦で日本の租借地(満洲善後条約)になった「満州国・関東州」も載っています。

 明治時代に二度の対外戦争を勝利に収めた日本国民は、この成功例を糧にさらなる飛躍を願ったのでしょう。

右ページには「樺太地方」、左ページには「朝鮮地方」

考えさせられる一冊の「家のじゃまけモノ」

 この「帝国新地図」を見ていて一つ気付いたことがありました、私は父に対して大きな誤解をしていたかもしれないと。父が沈黙を守り、決して戦争体験談を話さなかった理由を、私は勝手に「戦場で亡くなった戦友や民間人への贖罪の気持ち」だと考えていたのです。それも一つと思うのですが、他にも理由がある気がしてきました、それは「父の父」また「父の父の父」が対外戦争で勝ち進み国を大きくし豊かにしてきた。なのに自分達が先の大戦(第二次世界大戦)に負け、一度は国を失い多くの国民を不幸にしてしまったことを、祖先に対し責念を感じていたのかもしれません。負けたことを悔やみ「敗者は何も語らず」なのでしょうか、もう確認することはできませんが。

 そのようなことを考えページを進めますと、いつの間にやらカラー最終ページに辿り着きました。そのページに掲載されていた地図は、「第一次世界大戦」後に日本の委任統治領となった現在の北マリアナ諸島・パラオ・ミクロネシア連邦・マーシャル諸島共和国などが「我が南洋群島」と表記され載っています。これを見て思い至ったことがあります、当時一億人満たない人口の国が余りにも急激に領土を増やしすぎたことで、大きな負債を後に払うことにったのでしょう。それは、今現在も払い続けています・・・。

「我が南洋群島」と表記された太平洋西部の地図

 最後に、今も世界の各地で紛争や戦争が起こっています・・・。願わくば、勝敗などつけずに被害を最小限にとどめるため「妥協点」を見つけ解決の糸口を見出して欲しいです。これは、大きな敗戦を経験した国の人間からの願望かもしれませんが。

 今回の「家のじゃまけモノ」はいつもと違い、少し真面目に書きました(ものが物でしたので・笑)。次回からは通常運転になる予定です! でも、この一冊のお陰で今は亡き父と邂逅できたことを感謝します。

付録(データ)ページ「地域別の人口統計ページ」
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