世界拳闘紀行 第十五回 南アフリカ共和国

WORLD BOXING JOURNEY

文:コビトロック
イラスト:kimura

現代の暗黒史、悪名高いあの政策

第15回は南アフリカ共和国。スポーツで言えばボクシングよりラグビーってイメージが強い国かと思うんです。屈指の強豪国。ワールドカップでも3回優勝。映画「インビクタス/負けざる者たち」も感動的でしたね。サッカーもW杯開催したり盛んですな。あとダイヤモンドの産地としても有名。
しかし、スポーツ以外でこの国を語るとき今でも最初に浮かぶのは人種隔離政策アパルトヘイト。今でも世界中で差別は残っているけど、1911年の鉱山労働法をその始まりとすると1991年まで80年に渡って国の政策として黒人差別してたって…。勿論これがこの国の経済だけでなくスポーツにも暗い影を落とし続けていた。

世界で一番有名な南アフリカのボクサーは?

この国出身で一番有名な元ボクサーは?それはネルソン・マンデラ。
そう、「元」ボクサーで括れば。彼は投獄されキャリア断絶しなければ世界的な活躍も期待できた選手だったとか…かどうかはともかく、後に「私には、人生において悔やまれることがひとつある。それは、一度もヘビー級ボクシングの世界チャンピオンになれなかったことだ」と冗談混じりに話すほど。彼が弁護士として勤め、今や歴史的建造物であり観光名所のチャンセラーハウスの前にはボクサー時代のマンデラの像がある。また彼自身ボクヲタでもあり、メイウェザー対パッキャオを自国で開催しようとした事も。
考えようによっちゃボクサーとして大成しなかったからこそ、リング上の相手どころじゃない巨大な敵を戦い、勝ち、偉人として歴史に名を残したのかも。

国内に二人の王者。20世紀初頭みたいな酷い制度っすね

70年代まで国内王者も「黒人王者」「白人王者」に分けられていたほどなので、当然アパルトヘイト廃止前の90年代頭までは国際的な選手は白人が多い。実は制度廃止前から南アフリカ国内ボクサーの9割は黒人。とも言われているので廃止後のこの30年は黒人選手の台頭が目立つ。逆にいうと90年代までは世界的に活躍する黒人選手はほとんどいなかったという事ですよね。

白井義男と同期

そんな南アフリカ初の世界王者は、アパルトヘイト真っ只中1950年にバンタム級で世界を獲ったビック・タウィール。白いヘンリー・アームストロングというニックネームの通り、やはり白人です。
アマ190戦188勝(180KO)2敗。1948年ロンドン五輪代表の実績をひっさげ1949年プロデビュー、4戦目で国内王者に。その後、名王者マヌエル・オルチス相手に14戦目(当時としては少ないキャリア)で戴冠!英雄だったんでしょうねえ。4度目の防衛戦では28,000人の観客を集めたそうで。その防衛戦でオーストラリアのジミー・カラザースに初回KO負けで陥落。場内騒然、あわや暴動?と言う状況だったそうな。
ちなみに当時の一階級下のフライ級王者は我らが白井義男。

今でも印象深い選手といえば、

丁度、時代錯誤のアパルトヘイトが南アフリカ国内でも限界を迎えた頃に活躍した名選手。それがWBA世界Jr.ライト級王者ブライアン・ミッチェル。
この王座は12度も防衛、実質王座統一(渡辺二郎的な)、王者のまま引退。すげーよ!
1986年9月に地元南アフリカでWBA王者アルフレッド・ライネを10ラウンドTKOで破り王座獲得!しかしこの後、WBAはアパルトヘイト政策を続ける南アフリカでの世界戦を禁止。よってこの後は延々、さすらいの流れ者王者といった感じで常にアウェーでの防衛戦を余儀なくされる。
当のミッチェル本人は堂々と反アパルトヘイト主義を表明していた。「黒人地区に住んでるし一緒に練習してるし。肌の色が違うだけで同じ人間やで」と言い続けたので、母国上層部との関係も微妙だったのかも知れないっすね。

時の風化に耐え、その評価は寧ろ現代で高く輝く

その後、防衛戦で訪れた国で反アパルトヘイトのデモが起きたり、散々な目に遭いまくりながら12度防衛。IBF王者トニー・ロペスとの統一戦はドローも再戦ではきっちり勝利。
結局、キャリア初期に喫した一敗(それも後に世界戦でリベンジ成功)のみで王者のまま引退。45勝21KO1敗3分と言うレコード。それも常にアウェーで勝ち続けたと言う名王者。
なのに何だか評価低いなぁ…影も薄いなぁ。とここ日本で思ってましたが、そもそも反アパルトヘイト主義者であった事もあり、時を経て彼の主義や言動も当時より浸透したような気がしますし、今やボクシングでは反差別の国際的ヒーローとして名声上がった?2009年に南アフリカンボクサーとして初めて名誉の殿堂入りしましたしね。

西田じゃねえ、ニシタ!

その後、アパルトヘイト撤廃に伴い続々と黒人王者も誕生していく。その中でも筆者の記憶に残るのは、アパルトヘイト末期に王座を獲得した黒人選手、IBFJr.フェザー級王者ウェルカム・ニシタ。綴りも「Welcome」。リングネームなのかな?訳すと“ようこそニシタ!”(売れない中堅ピン芸人みたい)
「俺との戦いにようこそ!」みたいなポジティブな意味とも取れるぞ。
そもそもJr.バンタムが主戦場だったが、25連勝と爆進し続けるも中々チャンスに恵まれず。やはりそれは南アフリカの選手だったって事も関係してんのかな。ほな2階級アップしてJr.フェザーで挑戦しまっせ!と1990年3月スペインのファブリシュ・ベニシュにイスラエルのテルアビブ(イスラエルで世界戦ってレア?)で挑戦。完勝でタイトル奪取。

彼が残した遺産というか切り開いた地平に続く黒人選手たち。

その後7度目の防衛戦でゴールドメダリストのアメリカのケネディ・マッキニーに大逆転KO負けで陥落。再戦でも先にダウンを奪うも判定負け。
歴史上ではそこまで名チャンプではなかったかも。でも彼こそは南アフリカの黒人ボクサーに次の時代の扉を開いた選手だと思うのよ。
ちなみに彼からタイトルを奪ったマッキニーを破ったのは、南アフリカの後輩黒人ボクサーである。ブヤニ・ブング。13度の防衛を果たす名王者になる。世界的には彼の方が評価高いっすね。

ミニマムからヘビーまで偏りなく良い選手を生み出している国

この国は、ミニマム級の王者もいればヘビー級の王者も輩出。これは近代ボクシング発祥の国イギリスにも言えることだが、競技人口が多く、アマボクシングの土台の基本的技術がしっかりしたボクサーが多いことも一役買っているような気もする。
H級ではゲリー・コーツィー、フランソワ・ボタ(後にK-1にも出てたね。あ、K-1と言えばマイク・ベルナルドも一応WBF獲ってる王者)、コーリー・サンダースと、結構王者を輩出している。
その一方、軽量級でも選手は豊富で逆にMm級でもゾラニ・ペテロ、ヌコシナチ・ジョイ、ヘッキー・ブドラーと枚挙にいとまがない。
その上の軽量級だと、近年日本人と対戦した選手だけ思いつくままピックアップしても、LF級王者シベナティ・ノンティンガ、F級王者モルティ・ムザラネ、昨年我らが田中恒成からベルト持ってったSF級王者プメレレ・カフ、ゾラニ・テテ、長谷川穂積に破れた後Fe級王者になったシンピウィ・ベチェカetc…いくらでも出てくるね。
男子の平均体格ってどんなんなんやろ。

ブドラー、小さな死刑執行人

個人的にはブドラーが印象深い選手なんです。何気に髪の毛がピンクだったり青かったり金髪だったり…てのも記憶に残っている選手。それに息が長くない?ずっといてるイメージ。IBOも含めると最初にLF級で王座獲得したのが2010年。翌年Mm級に下げIBO二回級制覇。2013年にWBA王者奪取、その王座を維持したまま、2017年にまたIBOのLF級王座も獲得。IBO好きねえ。
その後、2018年に東京でWBA・IBF世界ライトフライ級統一王者田口良一に挑戦、田口有利?くらいに思っていたが、田口を空転させて一気に2つの王座奪取!
その後、田口のジム後輩の京口にKO負けで陥落。
その後暫く名前聞かないな〜って思ってたら2年半後に復帰、3連勝で当時絶対王者の風格漂う寺地拳四朗に挑戦すべくまた来日!以前はまずテクニシャンという印象だったが、この試合ではテクニックより精神力の強さを全面に押し出したファイトを展開。拳四朗の前にテクニックを無効化されたという側面もあるが、その勇猛果敢なファイトっぷりに我々日本人も熱く感動しました。

テテテテテテ

もう一人、個人的に印象深いゾラニ・テテについて語らせてくだせえ〜。すぐ終わるから〜!
そもそも南アフリカのKOセンセーションみたいな触れ込みでちょこちょこ日本のボクヲタ間でも話題になり始めたのは2010年。が、初王座挑戦は同国人のムザラネに5回KO負け。その後も挑戦者決定戦で負け、また挑戦者決定戦で負け、もう消えそう。から見事復活し、ここ日本の神戸で帝里木下とIBFのSF級王座決定戦に完勝判定勝ちで王座獲得!
実はこの試合現地観戦しました。神戸ポートピアホテルの宴会場を試合会場に使い、観客もジャケット着用のドレスコードありという、ボクシングで余り見ない雰囲気での試合(ちなみに観客の4割くらいしかジャケット着てなかったぞ)。

帝里の大応援団の朝鮮高校の生徒たちが、試合後はリングを降りたテテに群がりキラキラした目で記念撮影と握手攻めしてたのは「勝者が全てをいただく」というボクシングの真理を目の当たりにして、これが正しいよな。と思いながら筆者もバッチリ2ショットを撮ってもらいました。初王座獲得で気分よかったのか、最後の1人になるまでずっとニコニコでファンサしてました。んで筆者もファンになったよ。

その後のテテテテテテ

そレからもテテは順調に2階級制覇し、WBSSで準決勝まで進みモンスター井上の対抗馬ポジションに!だったものの、肩の故障で欠場(結果、対戦予定だったドネアが再ブレイク)。その後あのカシメロにKO負けで陥落、2023年にドーピング検査で陽性。4年間の出場停止中。どう思います?格闘技のドーピングだもん、残念だけど妥当と思う(永久追放も有りかと)。一方ドーピングで1年足らずで戻ってくる選手には、ただのちょっと長めの試合感覚やん!て思う。

そんな南アフリカの今後

なんかねぇ、治安の悪さと貧富の差が解消されず、まだまだ国力が良くなる見通しが立たないとか聞きます。でもしんどい現状だろうが一攫千金を狙ってまだまだ強い選手を輩出してくれる国と思うので、そこは今後も期待しているんです。この国の選手はよく日本まで来てくれるけど、何時間の旅なんじゃろね。とか思う。ありがとうね。


という訳で、それではまた!

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