天皇陵

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第一三九回 市辺押磐皇子 磐坂市辺押磐皇子墓 <前編>
天皇陵・外伝編-04

播磨国風土記には「市辺天皇命」とされている「市辺押磐皇子」。宮内庁、治定の東近江市市辺町「磐坂市辺押磐皇子墓」へ参拝。この皇子は、父に「一七代・履中天皇」、子に「二三代・顕宗天皇、二四代・仁賢天皇」を持つ五世紀頃の皇族と伝わる。
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第一三八回 莵道稚郎子の墓 朝日山山頂 <後編>
天皇陵・外伝編-03

今回の天皇陵外伝は、前回に引き続き莵道稚郎子の「もう一つの墓」へ向かいました。その墓は、江戸時代中期、記述に基づき「朝日山」の山頂が墓所と見なされ、享保一八年に墓碑の建立が行なわれたと伝わっている。「さわらびの道」から「大吉山遊歩道」に入り登山道が始まる・・・。
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第一三七回 莵道稚郎子 宇治神社・宇治上神社 <中編>
天皇陵・外伝編-03   

今回の天皇陵外伝は、前回に引き続き菟道稚郎子の足跡を辿る旅。宮居を河内の国から菟道(うじ)に移すした皇子、その皇子を祀る宇治神社と二社一体の宇治上神社に参拝。この宇治上神社の御祭神に左殿「菟道稚郎子」、中殿「応神天皇」、右殿「仁徳天皇」の三柱が並んで祀られている。
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第一三六回 莵道稚郎子 宇治墓 <前編>
天皇陵・外伝編-03

播磨国風土記には「宇治天皇」と記されている「莵道稚郎子」の「宇治墓」に参拝。日本書紀では、父・応神天皇の寵愛を受けて立太子されるも、異母兄の仁徳天皇に皇位を譲るべく自死したと伝わる。その墓は明治22年に丸山古墳に治定され宇治墓となり宮内庁の管理下に入った。
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第一三五回 神功皇后 狹城盾列池上陵  山陵八幡神社<後編>
天皇陵・外伝編-02

今回の天皇陵外伝は、前回に引き続き神功皇后を祀る「山陵八幡神社」に参拝。この神社は祭壇のよう御陵前に鎮座している。全国にある「八幡神社」の主祭神は「応神天皇」だが、この「山陵八幡神社」の主祭神は「気長足姫命」すなわち「神功皇后」だった。
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第一三四回 神功皇后 狹城盾列池上陵 飛地・いろはに各号
<中編>
天皇陵・外伝編-02

今回の天皇陵外伝は、前回に引き続き神功皇后の狹城盾列池上陵「飛地・いろはに各号」飛地陪冢を探索の旅。「い・ろ号」は直ぐに分かったが、「に・は号」は竹藪の中にあり少し迷ってしまった・・・。それに、冬以外だとマムシがいそうで用心して進んだ。
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第一三三回 神功皇后 狹城盾列池上陵 <前編>
天皇陵・外伝編-02

明治時代まで一部史書などに「一五代・天皇」と記されていた「神功皇后」の御陵「狹城盾列池上陵」に参拝。その御陵は奈良市山陵町にある遺跡名「五社神古墳」とも言われている。全国12位の規模の前方後円墳。近鉄京都線「平城」下車、約400m、徒歩約6分と駅から近い。
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第一三二回 日本武尊 居醒の清水 <後編>
天皇陵・外伝編-01

今回の天皇陵・外伝は記紀に綴られた日本武尊の伝説の地「居醒の清水」に訪れる。滋賀県米原市のJR東海道本線「醒ヶ井」を下車、旧中山道沿いを約10分ほど歩けば「居醒の清水」に到着。この清水は日本武尊が伊吹山に住む神の討伐時に熱病に倒れ、その体毒を洗い清めた霊水と言われている。
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第一三一回 日本武尊 能褒野墓 <中編>
天皇陵・外伝編-01

今回の天皇陵・外伝は前回に引き続き日本武尊の陵墓をめぐる旅。訪れたのは、三重北部で最大級の古墳のひとつ能褒野王塚古墳。ここにもう一つ、日本武尊の墓がある。記紀によると、この地で最期を迎えられ白鳥となり西に飛び去った、と言われている。その地を墓にした。
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第一三〇回 日本武尊 白鳥陵 <前編>
天皇陵・外伝編-01

景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父である日本武尊は、追尊天皇と言えると思う。ならば、歴代天皇陵踏破の中に入るので、大阪府羽曳野市に向かった。日本書紀には、この地に白鳥が舞い降り、その場所に陵墓を造ったといわれている。それが白鳥陵といわれている。だが、他にも陵墓がある。
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