天袋、家の掃除をしてみれば出るは出るは、あの日のお宝?
誰が行ったか知らないが「旅の土産のキーホルダー」
叱られて、取り上げられた「プラモデル」
勉強用、買って使わず「ヒーローノート」
誰が聴いたかビックスター「昭和歌謡のSP盤」
娯楽といえばプロ野球、知らぬ球団「バッヂ」をつけて草野球
あの頃、
捨てずに残したお宝も、今じゃ「家のじゃまけモノ」

あの万博から55年、再び大阪で始まる「EXPO 2025 」
4月13日「EXPO 2025 大阪・関西万国博覧会」開催を記念して、今回の「家のじゃまけモノ」は「1970年のこんにちは~♬」こそ「EXPO 1970 日本万国博覧会」グッズです。
昭和45年の賑やかさは今でも覚えている、週末が近づけばいつも家には親戚がいた。そう、どこのうちも(関西在住だと)そうだと思うが、田舎から親戚が万博を見にきて家に泊まる。昔はホテルなどに泊まらず親戚・親類の家に泊まらせてもらうものが常だった、ホテルは高額で上流階級が利用するのとされていたから(我が一族では・笑)。
そして親戚が来る度、「EXPO 1970」土産が家に増えていく・・・。それも、お小遣いを兼ねた普通に流通していた「万博記念硬貨」ばかり。使うのに躊躇してしまう100円硬貨、これこそ「家のじゃまけモノ」だ~!!

開催直後にきた親戚が、次に来る親戚のために置いて行った「日本万国博覧会・公式ガイドブック」定価300円。表紙は戦後を代表する洋画家「猪熊弦一郎」の『斜線都市』で、中面の挿絵は「東山魁夷」「平山郁夫」も描いている。
ちなみに入場料は「大人・800円、青年・600円、小人・400円」と割高だったんだ。

「よりゆたかな生命の充実を」のキャッチコピーと昭和ならではの赤ちゃんの笑顔写真(笑)。戦後から25年・・・「生命の充実」というキーワードの意味が今なら理解できますね。
でも。「EXPO 2025 」のテーマも「いのち」、万博のテーマって時代が変わっても進歩しないんだなぁ。

パビリオンの紹介は写真を使わず、全てパース画を使用している。開催前の発刊なので建設がまだだったんだろう。
サンヨー電気、懐かしい~。フジパン ロボット館は手塚治虫デザインのロボットが並んでいた。

「EXPO 1970 バッチ・太陽の塔」。これは自分自身が行った時にもらったバッヂだったと思う。ただ、こんな色だったのか? 表面の彩色が剥げたのかも。


そして、10枚も残っていた「日本万国博覧会記念100円硬貨」。お金だから「じゃまけモノ」と言うのは失礼なのだけど、10枚もあると・・・。
10枚のほとんどが「万博土産?」として、親戚の叔父叔母がくれたもの。当時の100円は嬉しいけど、この硬貨だと使いづらいんだよ~~! その上、これって土産じゃない! 完全に子供を馬鹿にしている、当時の大人たちだ。
硬貨の表面は「葛飾北斎」の「赤富士」、裏面は地球を背景に博覧会のシンボルマーク。