汝に神が与えし一瞬キューバ共和国 ハバナ旧市街 風景 2021.11.19 時には思いもよらぬことが起きる特に旅先で、神のいたずらとでもいうのかそんな一瞬を捕らえた、一期一会の風景 shoot IV キューバ共和国ハバナ・デル・エステ市 コヒマル 小説『老人と海』のモデル故グレゴリオ・フエンテスとの記念の一枚 ハバナの革命広場、内務省のチェ・ゲバラの肖像。その下には「Hasta la victoria siempre(常に勝利に向かって)」と刻まれている。 この旅では、数々の面白体験をした、それは社会主義特有の、ただ、少しゆる目の南の島の体験だ(笑)。 私たちには、通訳兼監視役の「アルマンド」という来日経験もあり、六カ国語話せる柔道五段の頼もしいボディガードが付いてくれたのだ。こいつはいい奴なのだが、いささか口数が多いので面倒臭いのだ、ある日「ハバナ旧市街」で迷子の振りして撒いてやった(笑)。だが、20分もしない内に御用だ、「どこに行くんですか? ダメですよ」と笑顔で、さすがに社会主義の国だ彼らの捜査網にはあきれかえった(苦笑)。 またある日、ドライバーの「ヘラルド」は結婚記念日で、アルマンドは息子が学校宿舎から帰郷しているらしく、今日は早く帰りたいとお願いされた。基本、私はクルー達と同じ釜のメシを喰うことを大切に考えているが、2人の特別な日だから当然OKだ(もちろん、心の中でこれで監視から開放されて自由に動ける喜びがあった)。 解散後、私たちはホテルで軽い食事をして、ヘミングウェイがこよなく愛した「BAR フロリディータ」にタクシーでむかった。ホテル前に泊まっていた、タクシーの片方のドアが無いのには驚いた(笑)。「BAR フロリディータ」に着き、「パパ・ヘミングウェイ(ロンググラスのフローズンダイキリ)」を数杯呑み、三度目の来店を喜んでくれたマスターと片言で楽しく会話し過ごしていると、先ほど別れた彼らのボスが、わざわざ私たちを捜し出し『私についてきてください、ご招待したい所があるので』と言われ、連行されたのだ。本当に、この国の捜査力には恐れ入やの鬼子母神だ。 少し冷や汗ものの体験は、信号渋滞(30分以上も青にならない信号)に巻き込まれ、あまりに時間が勿体ないのでカメラを持ち車を降り、先に歩き出した。クラッシックカーやキューバ人を撮影しなが前へと進んで行く、暫く歩くと渋滞の先頭に出たのだ、そこから先はキビ畑とタバコ畑の気持ちのよい田園風景に見えた。 相方と話し、大判カメラで撮影を試みた、その時に、向こうから駆け足でこちらに来る解放軍の兵隊さん。「おぉ、勇ましいもんだな」と感心して、彼に笑顔で挨拶をした。だが、帰ってきたのは挨拶でもなく、自動小銃の銃口だった(汗)、何かを捲し立てる兵隊さんに手を焼いていると、後から神の声だ! アルマンドが、押っ取り刀で駆けつけてくれ事なきを得る。明るく陽気な南の島なのだが、やはり社会主義国だとつくづく思ったことを今でも覚えている。 アルマンドよ、あの時はありがとう! 今はアメリカで元気に暮らしているかい、また機会があれば一緒にメシでも喰おう。 ハバナの旧市街地。世界中何処にも普通の生活がある、白いシーツがそれを表している。カメラを向けても、いつも、陽気なキューバ人に感謝。 旧市街には普通に60〜70年のアメ車が停まっている。 朝焼けに焼ける、世界遺産ガルシア・ロルカ劇場と元国会議事堂のカピトリオ。 ヘミングウェイがハバナでの常宿にしていた「ホテル・アンボス・ムンドス」。ここで、「誰がために鐘は鳴る」を書いた。 彼が滞在していた511号室は、小さな博物館になっている、泊まらなくても、部屋の見学はできる。飾られている写真には若き日のグレゴリオさんがいる。 フレッシュミントのキューバ発祥のカクテル、ヘミングウェイが愛した「モヒート」が有名な「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」。 ハバナに居る時は何度も行って、3回目にはマスターに「常連だ!」と言ってもらった、名店「エル・フロリディータ」。ヘミングウェイのサインには「我がダイキリはフロリディータにて」と書かれている。 夕方の海岸に面したマレコン通りはキューバ人の憩いの場。平和で穏やかで明るいのが気にいって何度も歩いた、彼らとのふれあいが楽しかった。 マレコン通りからの「世界遺産モロ要塞」。 「世界遺産モロ要塞」から夕日が落ちるマレコン通り。 1939年開店の老舗キャバレー「トロピカーナ」、プァーでゴージャスなショーは必見の価値有り。ここから、ブロードウェイにスカウトされたダンサーも過去多くいるのだ。 汝に神が与えし一瞬キューバ共和国 ハバナ・デル・エステ市 コヒマル 還暦前、写真家の「写して候・寄って候」天皇御陵踏破の旅第十九回 飛鳥時代 三一代用明天皇陵 ホーム風景