還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第十九回 飛鳥時代 三一代用明天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみた
い。

写真取材 赤木 賢二
 
 

河内磯長原陵(用明天皇陵)

用明天皇陵


三一 代/用明(ようめい)天皇陵
和風諡号/橘豊日天皇  たちばなのとよひのすめらみこと
在位年/西暦五八五~五八七
陵形/方丘
皇居/磐余池辺雙槻宮(奈良県桜井市)  

所在地 河内磯長原陵 大阪府南河内郡太子町大字春日
最寄駅 近鉄長野線「喜志」から、金剛バス「春日口」下車。徒歩約五分。

 蘇我稲目の孫でもある用明天皇は、崇仏派で王朝において仏教を公認したが、即位2年足らずで崩御した。
なにか、きな臭さを感じる。また、息子の一人に聖徳太子がいる。御陵の墳丘は3段築成と考えられ、高さ一〇mで一辺約六〇mの方墳である。墳丘の周りに空壕(幅七m)が巡らされていて、古墳全長は東西一〇〇m、南北九〇mにもなる。近くに聖徳太子ゆかりの「叡福寺」が徒歩約一〇分にある、せっかくなので親子巡りは如何だろうか。
 

用明天皇陵
歩く場合は「太子町立太子中学校」を目標に歩けばいい、直ぐ横に御陵があり拝所に続く道がある。
用明天皇陵
方墳の西側の一辺だ、御陵周りが歩けるようだが、不敬なことはやめよう。

 
 
磐余池辺雙槻宮(奈良県桜井市)

磐余池辺雙槻宮
場所は国道一六五号線・谷交差点を南に二〇〇m進むと「左土舞台」の石標がある、これを左に坂を昇る。
磐余池辺雙槻宮
坂の途中すぐの分かれ道を左にいく、正面の茂みが石寸山口神社。
磐余池辺雙槻宮
「大和志」に双槻(なみつき)神社と呼ばれていたことから、伝承地の一つとなっている「石寸(いわれ)山口神社」。
近鉄大阪線・JR桜井線「桜井」より南へ徒歩約一七分。
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