vol.6
旅を始める前に「桜・ハナよりトーフ」

旅を始める前に・リレーエッセイ第六回

南禅寺

この写真は、去年のちょうど今時分「京都・南禅寺付近」の風景。通常なら観光客や花見客でごった返す「京都の名所」のひとつ。ご覧の通りコロナ禍では、人っ子一人いない・・・ 寂しくもめずらしい風景だ。今年、令和四年三月に各地に指定されていた「まん延防止」も解除になり、見慣れた京都の風景になることだろう。

南禅寺

さて、桜の季節には「さよなら」と「はじめまして」が表裏一体。それは『旅』ともよく似ている気がする、初めての場所に行き「はじめまして」をして、数日後「さよなら」をする。また、今宵に呑む酒と肴も同じだ(笑)、旅先で出会う地酒と地物の肴、一期一会である。そんな地酒のことで、桜の季節になるといつも思う事があ。それは、特別春に呑む訳でもないのに(?)、「桜」と名のつく日本酒名が多いことだ。

桜

例えば、山形の「出羽桜」、福島の「春高楼」、山梨の「谷櫻」、滋賀の「初桜」、メジャーどころでは兵庫の「黄桜」、この時期にぴったりの和歌山の「初桜」、島根の「三つ櫻」、広島の「桜吹雪」、書き出せば切りがない。なぜこんなに多いのか? やはり古今東西、酒は清めの儀式として「さよなら」と「はじめまして」に必要なアイテムだった事から、春にちなんだ名を付けたのだろう。

南禅寺

こんな事を思っていたら、つい最近、身近で小さな「さよなら」があった。本誌で連載している「おれが むらた だ」の舞台「ムラタ屋」での寂しい「さよなら」だ。それは、ムラタ店主が自から見つけ出し、店で人気定番の肴「薬味たっぷり厚あげ焼き」の厚揚げを仕入れている「豆腐屋さん」の話だ。
大阪市内の小さな商店街の「ごく普通の豆腐屋」さんが、高齢のため、この春(三月末)に店を閉める事になったと聞いた。この豆腐屋のおやじさんのこだわりが凄い!職人気質ともいうのだろうか、御歳八〇にして新商品を考え、ムラタ屋店主に味見をさせ感想を聞き、再度、試作を作り味見させる。また、気に入らない揚げ上がりの場合は「まかない用」としてお金も取らず渡してくれるそうだ。モノ造りは幾つになろうとも、こうでなければ成らないのだろう。頭が下がる思いです。何と言ってもこの豆腐屋さんの「厚揚げ」が絶品だ! ふわふわ大ぶりの絹ごし豆腐を特性油を使って揚げて作る「厚揚げ」。外は「カリッ」と中は「しっとり」柔らかい食感なのです。味は豆本来の風味が残り何も着けずに肴としても充分。繊細な日本酒の邪魔をせず、「そっと」寄り添ういい肴なのだ。何度食べたか数え切れないほど(笑)、小腹が減っている時によくお世話になった。それも、桜の季節を過ぎれば永遠に食べる事が出来なくなる。寂しいかぎりだ。

厚揚げ

この原稿を書いていたら、また食べたくなってきた!まだ間に合う(これを書いているのは三月だから)、今宵はムラタ屋のカウンターで一人、「桜」の付く名の日本酒で送別の酒盃としよう。一度も会った事のない、豆腐屋のおやじさんに、ただただ、静かに感謝を贈ろう。この肴に出会えた事を「ありがとう」と「さよなら」を。花冷えする今宵は熱燗で一献。

桜

 
写真 赤木賢二
文  藤川貴史

タイトルとURLをコピーしました