第九九回 一一四代 中御門天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代  <中期> 一一三~一一七代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

月輪陵(中御門天皇陵)

「月輪陵」と「藤森神社・本殿」

一一四代/中御門(なかみかど)天皇陵
諱/慶 仁 やすひと 
在位年/西暦一七〇九~一七三五年
陵形/九重塔 
皇居/京都御所 

所在地 月輪陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町  泉涌寺内 
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。

月輪陵

 「113代・東山天皇」の第5皇子、父より譲位されて10歳で即位する。先帝は譲位後、院政を行うが同年に崩御している。このため、祖父の「霊元上皇(112代天皇)」が院政を行った。

 「114代・中御門天皇」の在位期間は、「6代将軍・家宣」から「8代将軍・吉宗」の時代で、朝廷と幕府の関係は比較的良好であったと言われている。また、朝廷の古儀に関心を深めて宮中儀式を復興させた。特に雅楽の笛に造詣が深く、その音色をキツネが聴きに来るとの逸話が残っている。

 譲位後、1737年、36歳で崩御した。その御陵は「泉涌寺」内、「月輪陵」にある。

藤森神社

今回も「114代・中御門天皇」の足跡を求め京都市伏見区深草にやってきた(深草はよくきたな・・・苦笑)。ここ「藤森神社」には「114代・中御門天皇」より下賜された、「御所の賢所(内侍所)」が残っている。現在も「藤森神社」では「本殿」として使われている、現存する「賢所」では最古のものと言われている。

京阪本線「墨染」より「藤森神社・南門」まで、徒歩約2分、約450m。

「南門」をくぐって、境内を北に200mほど進むと、「本殿」に到着した。

この「本殿」のご祭神は、本殿中央(中座)に「素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰」の七柱。本殿東殿(東座)には「舎人親王、天武天皇」の二柱、本殿西殿(西座)に「早良親王、伊豫親王、井上内親王」の三柱。そうそうたる神々が祀られている、少し緊張気味に拝所にてご挨拶をした。

拝所の後に「本殿」が見える、美しい佇まいを感じる。拝所から見れば、「本殿」がセンターではなく少し東寄りに建っている。これって、どこかで見たが・・・覚えていない(苦笑)、歳には勝てないな。

本当に美しい造りだ。数百年前に「中御門天皇」がこの中で、祈りを捧げていたと考えれば、さらに厳かな気持ちになる。

「本殿」の近くには、大木の切り株の「神功皇后旗塚」が祀られていた。この切り株に「神功皇后」が三韓征伐の凱旋後、軍旗を立て祭ったと伝われているらしい。この旗塚に参拝すると腰痛が治ると云われていて、「近藤勇」も参拝して腰痛を治したそうです。私もあやかる事にした、最近、腰がヤバいので(苦笑)。

「神功皇后旗塚」の奥に、何やら厳しい顔をした鎧兜の銅像があったので「おまけ」で撮ってみた。
ここは「菖蒲の節句で五月人形」の発祥の地でもあるらしい。

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