還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第十六回 飛鳥時代 二八代宣化天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

身狹桃花鳥坂上陵(宣化天皇陵)

身狹桃花鳥坂上陵
拝所は国道一三三号より左に曲がり、民家を抜ければあった。

 
二八代/宣化(せんか)天皇陵
和風諡号/武小廣國押盾尊天皇 たけをひろくにおしたてのすめらみこと
在位年/西暦五三五一~五三九
陵形/前方後円    
皇居/檜隈廬入野宮(奈良県高市群明日香村)

所在地 身狹桃花鳥坂上陵 奈良県橿原市鳥屋町
最寄駅 近鉄南大阪線「橿原神宮前」より徒歩約一八分

 宣化天皇は第二六代継体(けいたい)天皇の第2皇子で、二九代欽明(きんめい)天皇の兄にあたる。
この御陵には天皇だけではなく、先立った皇后の橘皇女と孺子(じゅし)といわれる宮中に仕えた童も
合葬されたと治定されている。「日本書紀」には、新羅が任那を侵略したので大伴狭手彦を遣わし任那
を助け、百済を救ったと書かれている。
 

畝傍山
拝所から振り向けば「大和三山の畝傍山」の紅葉、なんだか得をした気分だ。
宣化天皇陵
南西から見た円墳部分、田んぼのあぜ道よりの一枚。

 
 
檜隈廬入野宮

檜隈廬入野宮
国営飛鳥歴史公園 キトラ古墳周辺地区に内にある檜隈廬入野宮跡がある。
最寄駅の近鉄吉野線「飛鳥」より徒歩約一六分、明日香村の生活区を楽しみながら歩いた(笑)。
於美阿志神社
於美阿志神社
檜前(ひのくま)集落東南はずれ、於美阿志(おみあし)神社の鳥居右側に宮跡を示す石碑がる。
於美阿志神社
於美阿志(おみあし)神社の前をすぎ、公園の遊歩道に入る手前のショットだ。道祖神でも祠ているのだろうか、絵になる小径だ。
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