近・現代 一二二〜一二四代天皇陵 2025.01.09 第一二〇回 一二四代 昭和天皇陵 <その6>今回も「昭和天皇」の足跡を巡る最終回。京都・洛北へ「八瀬童子」の里に訪問した。「八瀬童子」とは、中世から多くの天皇の身近で輿や棺を担ぐ仕事をしている。今日でも「天皇家に最も身近な庶民」と言われている人たちが暮らす所だ。「八瀬天満宮社」の鳥居前には、八瀬童子の年表があった。 第一一九回 一二四代 昭和天皇陵 <その5>今回も「昭和天皇」の足跡を巡る第5回目です。昭和天皇の戦後巡幸(1946年から1954年まで)を8年半をかけてお巡理になった。その時には、全道の巡幸の希望は叶えられなかった。後の1968年(昭和43年)に、氷雪の門、九人の乙女の碑などの前にお立ちになられた。 第一一八回 一二四代 昭和天皇陵 <その4>今回も「昭和天皇」の足跡を巡る第3回目です。滋賀県野洲市にある「昭和の悠記斎田」に訪れました。昭和天皇即位の「大嘗祭」に際し選ばれた「悠紀斎田」は、「近江富士」として名高い「三上山」を借景にする風光美豊かな田畠だった。 第一一七回 一二四代 昭和天皇陵 <その3>今回も「昭和天皇」の足跡を巡る第2回目です。多摩モノレール「立川北」駅前から徒歩・約10分で「昭和天皇記念館」に着く。ここには『平常展示』として「昭和天皇87年の御生涯」が展示されている。そこには「儀式用御椅子」「国産御料車のニッサン プリンス ロイヤル」などが。 第一一六回 一二四代 昭和天皇陵 <その2>今回は「昭和天皇」の足跡を追いかける1回目、港区元赤坂にある「旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)」に訪れました。門までの長いアプローチは、100m以上はあります。その門はイギリスのバッキンガム宮殿に似ている。更に100m以上歩けば迎賓館の「前庭」が見えてきた・・・広い。 第一一五回 一二四代 昭和天皇陵 <その1>今回は「昭和天皇陵」参拝へ。大正天皇陵の手前に御陵へと向かう分岐道があります。そのまま進めば、すぐに見えてくる。右手には「香淳皇后」の「武蔵野東陵」、奥が「昭和天皇」の「武藏野陵」。昭和世代の私にとっては神々しい御陵に感じてしまう。初代の御陵から巡り、ようやくここに到着いたしました! 第一一四回 一二三代 大正天皇陵 <後編>今回は「大正天皇」の足跡を訪ね、高知県高岡郡中土佐町へ。南国土佐と大正天皇の意外な関係は、1915年1月4日午前1時深夜、久礼八幡町(当時町名)より出火、焼失家屋237戸もの大火があった。正月早々に焼け出された町民に、心をお痛めになった大正天皇が復興費350円を下賜された。 第一一三回 一二三代 大正天皇陵 <中編>今回は「大正天皇陵」の足跡を訪ね、愛知県岡崎市にやってきました。名鉄「桜井」に到着、田園地帯を抜ければ「中島集落」。ここに大正天皇を祀る「中島八幡社」があります。その近くには「大正天皇・大嘗祭」の「悠紀斎田」が残っている「悠紀の里・地域交流センター六ツ美分館」へ。 第一一二回 一二三代 大正天皇陵 <前編>今回は「大正天皇陵」のある東京都八王子市のJR「たかお」へ。駅の出口に迷った後に、ようやく「多摩御陵参道」を歩く、この参道は緑の並木に溢れ心地良い道でした。歩くこと約2.5km、徒歩約40分で到着しました。還暦越えには、まあまあしんどかったです(苦笑)。 第一一一回 一二二代 明治天皇陵 <後編>今回は「明治天皇」の足跡を追って「明治神宮」と「外苑」を訪れました。参拝の後は、葬場殿の儀が行われ棺が安置された場所でもある「葬場殿址」、「聖徳記念絵画館」、「樺太国境画定標石」、「旧赤坂仮皇居御会食所」など。探せば「明治天皇」の足跡はいくらでもある・・・。 第一一〇回 一二二代 明治天皇陵 <特別編>今回は「明治天皇」の足跡を追って花の都、大東京へ。東京駅舎を出て、西に行幸通りに進み、皇居前に到着。「皇居一般参観」に参加、初めての皇居でドキドキする。「富士見櫓」から「宮内庁」、緩やかな坂の上には、「一般参賀」でご一家がお出ましされる「長和殿」が見える! 第一〇九回 一二二代 明治天皇陵 <中編>今回は多く残る「明治天皇」の足跡を追ってみる。まずは「伏見桃山陵」横の「昭憲皇太后・伏見桃山東陵」へ、その後「祇園四条」にある「天道神社・明治天皇皇后御胞衣塚」。そして「京都御所・中山邸跡」、ここには「明治天皇」の幼名がついている井戸が残っている。 第一〇八回 一二二代 明治天皇陵 <前編>今回は関西地方に葬られた、最後の天皇陵の122代・明治天皇「伏見桃山陵」に参拝。京阪本線「伏見桃山」を下車、ひたすら府道79号を東に向かい進む。約2km、徒歩約30分ほど歩けば御陵につながる230段の大階段に到着。頂上に上り詰めれば、眼下には宇治市や城陽市の街並みが広がる。