還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第二十二回 飛鳥時代 三四代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみた
い。

写真取材 赤木 賢二
 
 

押坂内陵(舒明天皇陵)

舒明天皇陵

三四代/舒明(じょめい)天皇陵
和風諡号/息長足日廣額天皇  おきながたらしひひろぬかのすめらみこと
在位年/西暦六二九~六四一
陵形/上円下方
皇居/飛鳥岡本宮(奈良県高市郡) 田中宮(奈良県橿原市)

所在地 押坂内陵 奈良県桜井市大字忍阪
最寄駅 近鉄大阪線・JR桜井線「桜井」より奈良交通バス「忍坂」下車、徒歩約五分。

舒明天皇は蘇我氏の後ろ盾を得て即位したといわれ、遣唐使を初めて送り、百済や新羅からも使節団が訪れるなど大陸との交流を行なった。
御陵の形状として宮内庁は「上円下方」としているが、現実には台形状の方形壇の上に八角形の墳丘をのせるという、「上八角下方墳」ともいうべき姿をしているらしい。石室には二つの石棺が収められ舒明天皇と母親の糠手姫皇女のものといわれている。
 

舒明天皇陵
舒明天皇陵
御陵は忍阪集落の坂道を約一五〇mほど昇れば、拝所に上がる石段が広がる。
ずっと昇りだったのでかなり疲れるので注意だ。最寄り駅より全て歩けば約42分位だろうか(苦笑)。
舒明天皇陵
拝所から忍阪集落を見下ろす一枚だ、よく歩いたもんだ、これから帰るのが辛い。

 
 
飛鳥岡本宮(奈良県高市郡)

飛鳥岡本宮
飛鳥岡本宮
飛鳥岡本宮
案内板には「飛鳥板蓋宮」だけしか表記はないが、ここには四つの宮『飛鳥岡本宮』と「後飛鳥岡本宮」「飛鳥浄御原宮」があったと考えられていはずだが。最寄り駅、近鉄吉野線「岡寺」より徒歩約三六分(二.八km)。

 
 
田中宮(奈良県橿原市)

法満寺
田中宮
「法満寺」という小さなお寺のあたりが宮跡といわれている。日本書紀にも「岡本宮に火災あり、天皇田中宮に居します。」と書かれているだけで「どこ」とは書かれていない(笑)。 百済宮に移るまでの臨時の宮と考えられている。
最寄り駅、近鉄「橿原神宮前」より徒歩約一九分(一.五km)。また、田中宮から飛鳥岡本宮まで徒歩約三三分(二.八km)。
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