還暦前、写真家の「写して候・寄って候」 天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四六回 六〇代 醍醐天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

後山科陵(醍醐天皇陵)

醍醐天皇陵

六〇代/醍醐(だいご)天皇陵
諱/敦仁 あつぎみ・あつひと
在位年/西暦八九七~九三〇
陵形/円形  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地 後山科陵 京都府京都市伏見区醍醐古道町
最寄駅 京都市地下鉄東西線「小野」から、約1,2km・徒歩約16分。

 60代醍醐天皇は父(59代宇多天皇)の皇籍復帰に伴い、皇族に戻った。西暦893年4月に立太子なり、宇多天皇から剣を下賜されたことが、現在にも続く「壺切御剣(皇太子もしくは皇嗣に相伝される太刀)」の始まりといわれている。
 その治世は34年間、摂関を置かずに親政を行い数多くの業績を収めた、後にこの治世を「延喜の治」として治世の理想とされた。また、和歌の振興に力を入れ「古今和歌集」や「延喜格式」の編纂を命じたとされている。
 御陵は、宮内庁により伏見区醍醐古道町「後山科陵」とされているが、長らく「醍醐寺」の管理下にあったため、所在の確定ができない平安時代の陵の1つである。
 

醍醐天皇陵
庭園や四季折々の花木が美しく、女流歌人の小野小町ゆかりの「隨心院」を過ぎれば直ぐ御陵前のバス停だ。
醍醐天皇陵
約50mほどの真っ直ぐな参道を歩けば拝所がある、登りの無い御陵はありがたい。
醍醐天皇陵
醍醐天皇陵
御陵内の御白州が美しく整えられているのが、なんだか嬉しく感じる。

後山科陵

 
 
醍醐寺

醍醐寺
醍醐寺
醍醐天皇の厚い庇護を受けた醍醐寺、豊臣秀吉の「醍醐の花見」も有名なので桜の季節に訪問した。
醍醐寺
応仁の乱でほとんどが焼け落ちたが、951年建立の五重塔(京都最古の木造建造物)だけは残っている。軌跡だ!
醍醐寺
不動堂の門柱に醍醐天皇名が刻まれていた。
タイトルとURLをコピーしました