還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第四回 黎明期 八代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

孝元天皇陵

垂直に昇る感じがする、石段を昇りきれば、静寂が漂う拝所に到着。
 

八代/孝元(こうげん)天皇陵
和風諡号/大日本根子彦国牽天皇 おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと
在位年/紀元前二一四~前一五八
陵形/前方後円
皇居/軽境原宮 

所在地 劒池嶋上陵 奈良県橿原市石川町
最寄駅 近鉄南大阪線「橿原神宮前」から徒歩一五分

孝霊天皇の政を行った「黒田廬戸宮」と「片丘馬坂陵」までの間の地名には『上牧町』、『牧野』など馬に関係する地名が現在まで残っている。遠い昔、この周辺は朝廷の放牧地で、馬に関係する地名もそれに由来するものと思われる。また、廬戸宮に隣接する「三宅町」の地名の由来は「屯倉(みあけ)」からだろうか。
 
 

劒池嶋上陵(孝元天皇陵)

孝元天皇陵

宮陵形は『前方後円』であり、比定は江戸時代。石川池の真ん中に、島のように浮かんで見える。拝所は、舗装された小径と急勾配の石段を昇る、丘の頂上付近にある。
 
 

軽境原宮伝承地

軽境原宮伝承地

牟佐坐(むさにます)神社が軽境原宮伝承地といわれ、石碑は宮跡から少し離れた「岡寺駅」踏切の手前にある。
 
 

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