還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五〇回 六四代 円融天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

後村上陵(円融天皇陵)

六四代/円融(えんゆう)天皇陵
諱/守平 もりひら ・ 覚如 かくにょ
在位年/西暦九六九~九八四
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地/後村上陵 京都府京都市右京区宇多野福王子町
最寄駅・京福電鉄「宇多野」から、約500m・徒歩約7分。

 兄である先帝・冷泉天皇の譲位により、11歳で64代円融天皇として即位する。即位時は幼かったため、大伯父の太政大臣藤原実頼が摂政に就任した。実頼が亡くなったその後も、藤原氏の摂政が続いた。在位期間中、常に藤原氏の権力争いに巻き込まれていた天皇。
 その御陵は、宮内庁により後村上陵と治定されていが、遺体は円融寺で火葬し、父の62代村上天皇陵の傍らに遺骨が納められたと言われている。現在も龍安寺(圓融寺跡)裏の朱山に円融院火葬塚が残っている。

住宅街なので子供たちが遊んでいる、こんな風景が好きだ。今と過去が繋がってるようで。
住宅街から迂回して、拝所の入口へ
逆光気味なので角度を変えて、もう一枚。垣の影が玉砂利に伸びてきている。
横からだと塚の形がよく分かる、こじんまりとまん丸でかわいい(これも不敬ですね・笑)

 
後村上陵(円融天皇陵)

 
 
龍安寺(圓融寺跡)

火葬塚が残っている「龍安寺」。御陵より歩くのもいい、龍安寺山門まで約30分位で着いた。
石庭と手水所(吾れ唯だ足るを知る)が有名。その石庭を一枚。
門前の茶店で一服。
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