五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
後円教寺陵(堀河天皇陵)

七三代/堀河(ほりかわ)天皇陵
諱/善仁 たるひと
在位年/西暦一〇八六~一一〇七
陵形/円丘
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮
所在地 紙屋川上陵 京都府京都市右京区龍安寺朱山 龍安寺内
最寄駅 京福電鉄北野線「龍安寺」から、約1,2km・徒歩約20分。
73代・堀河天皇は、72代・白河天皇の第二皇子。先帝が8歳の善仁親王に皇位を譲り即位させた。幼い天皇を支えるため関白・藤原師通に法皇の権限を抑え、政を行っていた。しかし藤原師通が亡くなると、先帝の白河上皇が再び政を行い、次第に堀河天皇は政への関心を失っていった。
政に関心を失った天皇は、情熱を趣味の音楽や和歌などに傾けるようになった。その後、堀河天皇の第一皇子(74代・鳥羽天皇)を、白河法皇(白河天皇)が引きとって、院で育てはじめた。
白河上皇(法皇)に翻弄され続け、29歳で崩御する。
その御陵は、66代・一条天皇陵と同域である朱山・龍安寺内にある。

堀河天皇火葬塚



堀河天皇里内裏址・堀河院苑池の瀧口


ホテルの庭には「堀河院苑池の瀧口」が復元されているらしい、余り興味がなくスルーした。