還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第六一回 七五代 崇徳天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

白峯陵(崇徳天皇陵)

七五代/崇 徳(すとく)天皇陵
諱/顕仁 あきひと 
在位年/西暦一一二三~一一四一
陵形/方丘
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地 白峯陵 香川県坂出市青海町 四国八十八箇所・第八一番札所 白峯寺内
最寄駅 JR予讃線「坂出」より、琴参バス「王越・大屋富行き」にて「高屋(登山口)」下車、徒歩約2.5km・約1時間。

 崇徳天皇は、74代・鳥羽天皇と権大納言「藤原公実」の息女「璋子(待賢門院)」の第一皇子として生まれる。だが『古事談』には、「白河法皇」と「璋子」が密通して生まれた子と書かれ、鳥羽天皇に「叔父子」と呼ばれ、嫌われていたと伝わる天皇。
 1123年に5歳で即位、1141年には鳥羽上皇の命により75代・ 近衛天皇に譲位した。1156年に鳥羽法皇が崩御したことで、皇位継承問題や摂関家の内紛で「保元の乱」が起こる。この乱によって戦いに敗れた崇徳上皇は讃岐の地に配流、その後には都に帰る事なく46歳で崩御された。
 その御陵は香川県の中央に位置する連山五色台の西側、四国八十八箇所・第八十一番札所「白峯寺」内にある。配流先での御陵(造営された)は、この「白峰陵」と兵庫県南あわじ市の47代・淳仁天皇「淡路陵」の2か所のみである。また、土御門天皇火葬塚を除けば四国で唯一の天皇陵でもある。
  
 

四国八十八箇所・第八一番札所の「白峯寺」門前、弘法大師像を入れて一枚。
山門をくくれば本堂に向かう石段だ・・・これはスルーしていく(苦笑)、
第一駐車場を左に行けば御陵に向かう参道。
参道を行けば、拝所へ向かう石段の登り。この位なら楽だ〜! 怨霊になった天皇だと言われているが、お優しいお方です。
白峯寺は山の高台にあるので、瀬戸内海、瀬戸大橋が見渡せる良い風景だ。

安井金毘羅

縁切り神社として有名な京都市東山区にある「安井金毘羅神社」。
社伝によれば、讃岐で崩御した崇徳天皇の霊を慰めるため、建立した光明院が
安井金比羅宮の起こりといわれている。絵馬には恐ろしいことが書かれていた・・・(絶句)。
主祭神の崇徳天皇をお祀りする、本殿の裏にある「御背の御扉」。非常に珍しいらしい。

安井金毘羅

崇徳天皇廟

「安井金毘羅神社」の北側、徒歩約1分に「崇徳天皇廟」がある。
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