一〇一代 稱光天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
南北朝時代 九六〜一〇一代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

深草北陵(稱光天皇陵)

稱光天皇陵

一〇一代/稱光(しょうこう)天皇陵
諱/躬仁・実仁 みひと 
在位年/西暦一四一二~一四二八年
陵形/方形堂 
皇居/平安京 

所在地 深草北陵 京都府京都市伏見区深草坊町 
最寄駅 JR奈良線「稲荷」下車、約1300m、徒歩約18分。

 「101代・稱光天皇」は14歳で即位、「100代・後小松天皇」の第1皇子である。即位後は父が上皇となり院政を行う。

 この皇位継承により南朝方の即位は消え去り、南朝の夢は完全についえたことになる。 そんな御代だが「稱光天皇」は病弱であったこともあり、父の「後小松上皇」の院政の陰に隠れて目立った治世を残していない。皇子に恵まれなかったこともあり、朝廷内外で皇位継承が問題となり、実弟や父との反目によって精神を病んだと言われている。「稱光天皇」在命中に「後小松上皇」は「北朝第3代・崇光天皇」の曾孫の彦仁親王を後継者に定めた。28歳で夭折した。

  その御陵は、「深草十二帝陵」とも称されている深草北陵。北朝・持明院統歴代天皇が葬られている御陵。

泉涌寺・海会堂(黒戸御所・移築)

 また今回も「深草北陵(深草十二帝陵)」だ、仕方がないので「稱光天皇」の足跡を追いかけようと思ったのだが・・・。28歳で夭折ということなので、なかなか縁の場所が見当たらない。唯一、見つけ出せたのは「稱光天皇」が過ごしたと言われている、「京都御所」内にあった「黒戸御所」と呼ばれていた建築物だ。その「黒戸御所」は明治に「泉涌寺・海会堂」として移築されている、それならば「泉涌寺」に向かう事にした。まぁ、「泉涌寺」にはこの先何度も参拝しなければならないと思いますが(苦笑)。

 JR・奈良線、京阪本線「東福寺」から徒歩約25分で「泉涌寺」。

泉涌寺
御寺と言われている皇室の菩提所、「泉涌寺」の「仏殿」。
ここには、歴代天皇の位牌を仏式で祀る「霊明殿」、その向かいには14人の天皇が眠る「月輪陵」がある。
泉涌寺
国の重要文化財「仏殿」の後には「舎利殿」だ、拝観料500円を払い境内へ進む。
泉涌寺
泉涌寺
これが「稱光天皇」が過ごした建物か・・・。今は「黒戸」から「海会堂」と呼ばれている。う〜ん、分からん!
あまりにも見るべき所がない(おぉ、これも不敬だ・苦笑)。 
泉涌寺
「海会堂」に続き玉座があった「御座所」。「御座所」から庭を挟んで「月輪陵」だ、白壁の真中に御陵へと向かう扉があった。
この場所にお座りになった歴代天皇は、ここから遥拝またあの扉をくぐって参拝したのだろうか。
泉涌寺
「御座所」の直ぐ隣りに建つ皇室の位牌を祀る「霊明殿」。ここは不思議なところだ、ある意味、神道系と仏式が並列で祀られている・・・。
奥深い、私には分からないけど(笑)
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