第九三回 一〇八代 後水尾天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代  <前期> 一〇八~一一二代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

月輪陵(後水尾天皇陵)

一〇八代/後水尾(ごみずのお)天皇陵
諱/政仁 ただひと
在位年/西暦一六一一~一六二九年
陵形/九重塔
皇居/京都御所 

所在地 月輪陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町  泉涌寺内 
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。

 「107代・後陽成天皇」の第三皇子である「108代・後水尾天皇」は、「関ヶ原の戦」で勝利した「徳川家康」の意向によって「後陽成天皇」から譲位され践祚した。朝廷を補佐する形で天下を支配した「徳川家康」と「二代将軍・秀忠」だが、「三代将軍・家光」になると幕府の命として天下に号令を出すようになった。この徳川三代の時代に徳川幕府の朝廷支配が完成したと見られている。

 そのため「108代・後水尾天皇」は生涯幕府に対する抵抗の姿勢を崩さず、退位後も四代の天皇の後見人として、51年の長きに渡り院政を敷き幕府を牽制する人生を歩む。55歳で出家したのち85歳で崩御、当時の天皇としては異例の長寿だった。

 その御陵は「泉涌寺」内の「月輪陵」に葬られている、また京都市上京区の「相国寺」境内には毛髪や歯を納めた「後水尾天皇髪歯塚」も奉られている。
 
 

相国寺・後水尾天皇髪歯塚

 「深草北陵」の訪問が終わったと思えば、なんと! この後、13代もの天皇が眠る「月輪陵」だ・・・。気を取り直して、今回は「108代・後水尾天皇」の頭髪や歯を奉る「相国寺・後水尾天皇髪歯塚」に訪問。

 京都市地下鉄「今出川」から徒歩約7分で「相国寺」の総門に着いた、近くて嬉しい。だが、ここも大きなお寺だから歩かされるのは覚悟の上だ(笑)。

 だが、約300mほどで「後水尾天皇髪歯塚」にたどり着けた。いつもの宮内庁の立て札があった。

 そこは、草むらの中に石碑が建っているだけの「髪歯塚」? 建築物が見当たらない!? それもそのはず、大塔は1788年の「天明の大火」で焼失し、その跡地に歯髪塚ができたようだ。

 こんな感じで石碑が「ポッ」とあるだけだ。

せっかく来たので、「相国寺」の法堂にお参りです。やはり広い敷地だ・・・。
美しい庭を見てひと休憩。 

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