ソノひびヨリ 第二一話〈前編〉
岡山県・倉敷市 『師は敷きのべ、その教えは倉へ』

倉敷市・美観地区
「倉敷」への旅の始まりは「大阪府・和泉市久保惣美術館」からだった

 今年の9月18日になにげなく来館した大阪府和泉市にある「久保惣美術館」がこの旅の始まりになった。何の情報もなくただ「ふらり」と訪れると、偶然だが面白そうな企画展「開館40周年記念交換展特別企画・ダイアローグ かたちのちから (兵庫県・西宮市大谷記念美術館所蔵品展)」を開催していた。

 美しい庭の横にある展示室に入ると、昭和を彩った抽象絵画が展示されている。一番最初は岡本太郎だ「やはりな」、次に目をやると、そこには知った作家名が連なっていた。同じく昭和期に活動された「津高和一(1911〜1995)」、「泉茂(1922〜1995)」両先生の作品が数点展示されている。津高和一先生とはちょっとした縁がるが、その話は後にしておこう。

 第二展示室にも縁深い作家の作品が展示されていた。私に一番最初(幼少期)、絵画を教えてくれた「山中嘉一(1928〜2013)」先生のシルクスクリーン作品があったのだ。なんだか、この企画展は縁を感じる、みんな鬼籍に入ってしまっているが・・・。恩師に合いたくとももう合えない、それが歳月と言うものだとしんみりと思う・・・。

 だが、待てよ、まだ会える恩師はいる「そうだ、会えるうちに合うのだ!」と「思い立ったが吉日」と旅の準備にかかることにした。

和泉市久保惣美術館と企画展図録
10月2日 新大阪駅 8時4分発のさくらに乗車
三尺下がって師の影を踏まず、倉敷へ向かう

 「久保惣美術館」の企画展鑑賞から約2週間後、20年ぶりに倉敷に向かった。

 会いにいくのは先ほども述べた「津高和一先生とはちょっとした縁のある」方で私の恩師。現在も倉敷で画家として活動をしている、「井上準三(先生)」さんだ。恩師は若かりしころに津高先生を師事し絵画を学んだ、つまり私にとって、恩師の先生にあたる方が津高先生なのです。「久保惣美術館」の企画展で頂いた「縁」を繋ぐために倉敷に。

 なぜ20年ぶりかと言えば、それは自らの不注意で恩師の連絡先をなくし約20年間・音信不通にしてしまった・・・、なんとも恩知らずの弟子である(苦笑)。そんなバカ弟子のために、この再会にご尽力を頂いた倉敷「ギャラリー・メリーノ」の清水さま、インスタで突然DMを送りお返事をいただいたヘルスコーディネーターの「オリーブレシピ」さまには感謝しかありません。 

 お二人の温情を感じ、瞬く間に岡山へ到着、在来線に乗り換え約15分ほどで倉敷駅に着いた。

20年前とは様変りしている「JR倉敷駅」。快晴の空が再会を祝福してくれているようだ〜。

 倉敷駅に20年ぶりに降り立つと駅舎や街の様変りに驚いた。確か、駅からメイン通りを歩けば師の自宅のはずと少し不安に思いながら歩いたが、すぐに着いた。時間が経っても覚えている「偉いものだ」と自分ながらに感心する。心を整え呼び鈴を押し、門柱の前で待てっていると、ひと回り小さくなった(すみません・笑)我が師が姿を見せてくれた。その笑顔は昔と変わりない、やさしげな眼差をだ。

 すぐさま、自宅の向かいにあるアトリエに誘われアトリエに入ると、先ほどまで描いていたと思われる作品が所狭しと無造作に置かれている。「あぁ、まだまだ現役のアーティストなんだ」と嬉しく思い、私自身にもなぜか勇気が湧いた。2時間弱、喋りに喋った、私が生徒であった高校時代の話から師の後輩となった大学時代、社会人になってから倉敷にたずねた時の話やら、20年の空白が嘘のように埋まっていっく。

 このままでは「ずっ〜と」話してしまい創作の邪魔をしそうなので、夜の食事の約束をして倉敷を散策することにする。外は快晴、久しぶりの倉敷を満喫したい。

「ブルー」の絵を見ると昔話して頂いた、ピカソの「青の時代」を思い出す。
床に無雑作に置かれている作品群、まだ新しい何かを見つけようとする「人の魂」を感じた。
机に置いていた、師が学生時代に手にした「別冊アトリエ」。当時、これを見て胸を弾ませたのだろう。
師からみて孫弟子が撮ってくれた一枚(喜)、「顔は出しちゃダメじゃ」と言っていたが許して欲しい(笑)良い写真でしょ!
倉敷には「アート」よりも「芸術」と言う言葉がよく似合う。

 アトリエを出て、歩いて3分もすれば「倉敷美観地区」の入口に着く。新型コロナもようやく落ち着き出した日曜、昼からは観光客も増えるはずなので早めに「大原美術館」を鑑賞をすることにした。この入口から真っ直ぐに進めば「喫茶エルグレコ」、向かいには倉敷川の「今橋」、その前に「大原美術館」が建っている。

 この旅で「大原美術館」には再訪したかった「なぜか」と言えば、もちろん師が幼いときから観ていた絵画を噛み締めて見てみたい(笑)と思ったのもひとつ。それと、もうひとつは岡山に縁のある作家「原田マハ(美術時代小説を多く書いている)」さんの「あの絵のまえで」に収録されている短編小説「窓辺の小鳥たち」を読んだからだ。それは、大原美術館収蔵のピカソ「鳥籠」を題材としたラブストーリー(柄にもなく・笑)、興味のある方は読んでください。

 館内にはギャラリーも少なく、落ち着いた空間の中でゆっくりとピカソの「鳥籠」、その他の絵画鑑賞ができた。残念だったのが「分館」が施設工事のため休館だったことだ、次に少し離れている大原美術館の暫定的な新施設「新児島館」に向かうため外に出た。だが、その前にお腹が減って来たので昼食にすることにした。

観光客もちらほら、晴天の美観地区入口
言わずと知れた「大原美術館」。分館は休館中です、いつから再開かは分からず・・・。 

 観光地の中にあるお店はあまり好きではないので、大原美術館のある美観地区を少しはずれ、「白川通り」にぶらりと歩けば『新そば』と書かれた黒板メニューを発見。岡山なのに江戸きりそば、細かいことはよい、まずは腹ごしらえなのです。蕎麦と言えば日本酒だ、この後のこともあるのでコップで冷やを頂くにとどめた。新そばの香りに岡山の地酒を楽しませて頂いた「江戸切りそば 石泉」さん、ごちそうさまです!

 お店を出て美観地区に戻り、今橋を渡り真っ直ぐいけば暫定開館している「大原美術館・新児島館」に着く。期間限定展示の「ヤノベケンジ『サン・シスター』」を鑑賞。この「サンシリーズ」は東北の被災地でも展示されていた(賛否はあったけど)、色々な見かたや感じかたがあってこその芸術表現、幅広い表現物を展示できる「倉敷」はさすがだ。長い時間をかけて芸術文化が成熟した街

だと思う。

 この『サン・シスター』が見られるのも11月30日までで、一般公開が終わる予定。興味のある方は、お早めに! 

 
 
後編に続く
 
 

「白川通り」、石仏が目印の「江戸切りそば 石泉」。このお店、本当においしかったです。
「大原美術館・新児島館」。この時には『サン・シスター』は覚醒せずに瞑想を続けていた・・・。
覚醒すると『サン・シスター』は目をひらき立ち上がるのです! 私は見れなかったけど・・・残念。

倉敷駅から大原美術館

大原美術館から大原美術館・新児島館

 
 
江戸切りそば 石泉とギャラリー・メリーノ

竹久夢二ショップ ギャラリー・メリーノ
倉敷市(岡山県)で主に竹久夢二の戦後からのメリーノコレクションを販売・展示しています。 他にはこだわりの座布団、きものお誂え、美術、工芸作家の作品などを取り扱っています。 また、ギャラリースペースの貸出も行っています。
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