第七四回 八九代 後深草天皇陵に訪問

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

深草北陵(後深草天皇陵)

後深草天皇陵

八九代/後深草(ごふかくさ)天皇陵
諱/久仁 ひさひと
在位年/西暦一二四六~一二五九年
陵形/方形堂
皇居/平安京 

所在地 深草北陵 京都府京都市伏見区深草坊町 
最寄駅 JR奈良線「稲荷」下車、約1300m、徒歩約18分。

 89代・後深草天皇は、88代・後嵯峨天皇の皇子であり、後の北朝(持明院統)そして現在まで続くの皇室の祖である。父の後嵯峨天皇の譲位により数え4歳で即位、在位中は後嵯峨上皇(天皇)が当然のごとく院政を敷き、後深草天皇自身の政は実質なかった。

 1259年(正元元年)に病を患い、同年に後嵯峨上皇(天皇)の強い要望で、弟の恒人親王(亀山天皇)に譲位する。

また、後嵯峨上皇の指示により、年長の後深草上皇の皇子を差し置いて亀山天皇の皇子を立太子させた。ここから、後深草上皇の血統(北朝・持明院統)と亀山天皇の血統(南朝・大覚寺統)の対立、即ち南北の対立が始まっていく。

 その御陵は、伏見区深草坊町にある深草北陵。別名「深草十二帝陵」とも称され、北朝・持明院統歴代天皇が葬られている。また、この地「深草山中」に葬られたのは、天皇の生前の希望といわれ深草山で火葬されのち、真宗院・法華堂に納骨されたとも言われている。
 
 

後深草天皇陵
後深草天皇陵
JR奈良線の直ぐ横に御陵はある。ここには北朝12代も帝が葬られている、
あと数回訪問することになるだろう・・・(苦笑)。
後深草天皇陵
深草十二帝陵
御陵の横にある、俗に「深草聖天」と呼ばれ、かつて「深草十二帝陵」の管理をしていた。
真宗院
真宗院
「深草聖天」の石標の前に、後深草天皇の遺骨を納骨されたという「真宗院」。門が閉まっていて境内に入れない・・・。
真宗院
まわりを廻って、入れる門をみつけてひと安心。

稲荷駅から深草北陵から真宗院

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