還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第三八回 平安時代<前期> 五二代 嵯峨天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写
してみたい。

写真取材 赤木 賢二

嵯峨山上陵(嵯峨天皇陵)

嵯峨天皇陵

五二代/嵯峨(さが)天皇陵
和風諡号/諱神野 かみの ・ 賀美能親王 かみののみこ
在位年/西暦八〇九~八二三
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地 嵯峨山上陵 京都市右京区北嵯峨朝原山町
最寄駅 JR山陰本線「嵯峨嵐山」から、約2,3キロ、徒歩約35分。

 50代桓武天皇の第2皇子。嵯峨天皇即位後、譲位した「平城上皇」が「藤原薬子、藤原仲成」と
政の中心に戻ろうとした「薬子の変」を抑え、「蔵人所」・「検非違使」などを設置して律令制を
固めたとされている。その後、朝廷は30年もの間安定し平安文化が開花した。また、書にすぐれ、
空海、橘逸勢とともに三筆の一人とされている。
 御陵は晩年に住み崩御された、嵯峨院(大覚寺)を見下ろす、嵯峨山の山上付近にある。
 

嵯峨天皇陵
嵯峨天皇陵
拝所に続く参道入口。ここからジグザグ(トレイル)に階段を昇る・・・。
嵯峨天皇陵
やっと拝所が見えてきた、ここまで約100mは昇った・・・。階段はキツい(苦笑)。
大覚寺
終の住処となった「大覚寺」が見える、ここで眠りにつく事を望んでいたのだろう。

大覚寺(嵯峨院)

大沢池越しに見た「大覚寺・心経宝塔」。
境内の中には石舞台(旧五大堂跡)、その奥には大覚寺御影堂がある。
御影堂に拝観でき、この渡り廊下が非常に美しく感じた。
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