五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
嵯峨山上陵(嵯峨天皇陵)
五二代/嵯峨(さが)天皇陵
和風諡号/諱神野 かみの ・ 賀美能親王 かみののみこ
在位年/西暦八〇九~八二三
陵形/円丘
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮
所在地 嵯峨山上陵 京都市右京区北嵯峨朝原山町
最寄駅 JR山陰本線「嵯峨嵐山」から、約2,3キロ、徒歩約35分。
50代桓武天皇の第2皇子。嵯峨天皇即位後、譲位した「平城上皇」が「藤原薬子、藤原仲成」と
政の中心に戻ろうとした「薬子の変」を抑え、「蔵人所」・「検非違使」などを設置して律令制を
固めたとされている。その後、朝廷は30年もの間安定し平安文化が開花した。また、書にすぐれ、
空海、橘逸勢とともに三筆の一人とされている。
御陵は晩年に住み崩御された、嵯峨院(大覚寺)を見下ろす、嵯峨山の山上付近にある。
大覚寺(嵯峨院)