第六六回 八一代 安徳天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<末期> 七八代~八一代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

阿弥陀寺陵(安徳天皇陵)

八一代/安 徳(あんとく)天皇陵
諱/言仁 ときひと 
在位年/西暦一一八〇~一一八五年
陵形/円丘
皇居/福原宮(神戸市兵庫区荒田町)

所在地 阿弥陀寺陵 山口県下関市阿弥陀寺町
最寄駅 山陽本線「JR下関」下車、バスで「赤間神宮前」下車、徒歩1分

 祖父にあたる「平清盛」の力により、生後まもない「80代・高倉天皇」の第一皇子(母は平清盛の娘の徳子)を立太子。その約1年後、朝廷内の反感をかいつつも「81代・安徳天皇」が即位。

 「平清盛」の死後、平家滅亡と共に僅か6歳で命を落とした悲劇の幼帝である。歴代の天皇の中、最も短命の上に、戦乱で落命した唯一の天皇。

 また、平家一門と「都落ち」をすると、朝廷では「82代・後鳥羽天皇が即位、正史上初めて同時に2人の天皇が擁立された。

 その御陵は、山口県下関市の関門海峡を目の前にした「赤間神宮」境内にある。壇ノ浦の戦いより1年後、「源頼朝」の命により「安徳天皇の怨霊」を鎮める目的のため「阿弥陀寺御影堂」が建てられた。その後にも、「安徳天皇の怨霊鎮慰」のため、木彫の等身大尊像が造られ本殿に収められ、現在の「赤間神宮・本宮」ご神体となっている。
 
 

赤間神宮正面「水天門」の向かって左横に御陵拝所がある。
幼帝の御陵にしては立派だ、平家の落人が寄進して祀ったのか、それともやはり祟りが恐ろしい源氏一門が築いたのか・・・。
赤間神宮から見渡せる関門海峡「壇ノ浦」。この海の底に、三種の神器のひとつ「草薙の剣」が眠っていると考えれば、
御陵がこの場所にあるのが必然だ。

赤間神宮内・阿弥陀寺陵(安徳天皇陵)

福原宮跡 荒田八幡神社

神戸大学・楠キャンパスの西側、小高い住宅地に福原宮跡のひとつ「荒田八幡神社」が鎮座する。
境内には「安徳天皇行在所址」「福原遷都八百年記念之碑」の2つの石碑があった。

福原宮跡 祇園神社

写真上は「祇園神社」に向かう途中に寄り道した「雪見御所跡」。
写真下は、そこから約5分ほどで着いた「祇園神社」。
ただ、境内に行くには長い長い石段が待っていた・・・。
平清盛ゆかりの地と言われ「平野の祇園さん」と親しみを込めて呼ばれている「祇園神社」、
そこからの眺めだ。今はビル群によって海を望むことができない、当時はこの地から海上を眺めていたのだろう。
タイトルとURLをコピーしました