還暦前、写真家の「写して候・寄って候」 天皇御陵踏破の旅
第二五回 白鳳・奈良時代 三八代天智天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写
してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

山科陵(天智天皇陵)

天智天皇陵

三八代/天智(てんぢ)天皇陵
和風諡号/天命開別天皇  あめみことひらかすわけのすめらみこと
在位年/西暦六六八~六七一
陵形/上円下方
皇居/近江大津宮(滋賀県大津市)  

所在地 山科陵 京都府京都市山科区御陵上御廟野町
最寄駅 京阪京津線・京都市営地下鉄東西線「御陵」より、徒歩約一〇分

 この御陵の被葬者は「天智天皇」で、ほぼ間違いのない古墳であると学術的に言われている。また「このような御陵は非常に珍しい」と、だが宮内庁が比定している限り「御陵は御陵」。
 天智天皇の話は豊富で、藤原鎌足とはかって蘇我氏を滅亡させ、舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)の皇太子として「大化改新」立案に関わり、そして、百済を救うため朝鮮半島に援軍を送り、白村江の戦いで大敗。六六七年には近江(滋賀県)の大津に遷都などが語り継がれている。
 

天智天皇陵
駅から約五分ほど歩くと、御陵拝所へ続く参道がある。
天智天皇陵
約一五〇mほどの並木の参道は喧騒を消し去ってくれた、来た参道を振り返り一枚。
天智天皇陵
さらに一〇〇m進むと拝所が現れる。

 
 
近江大津宮(滋賀県大津市)

近江大津宮
近江大津宮
近江大津宮
近江大津宮
近江大津宮伝承地へは、京阪電鉄石山坂本線「近江神宮前」より、徒歩約二分ほどだが、
住宅密集地なので児童公園ほどの大きさの伝承地が点在していた。 
タイトルとURLをコピーしました