第一一四回 一二三代 大正天皇陵 <後編>

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
近現代 一二二~一二四代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

多摩陵(大正天皇陵)

多摩陵と久礼の町(高知県高岡郡中土佐町)

一二三代/大 正(たいしょう)天皇陵
諱/嘉 仁 よしひと(明 宮・はるのみや)  
在位年/西暦一九一二~一九二六年
陵形/上円下方 
皇居/宮城(東京府) 

所在地 多摩陵 東京都八王子市長房町  武蔵陵墓地
最寄駅 JR・京王「高尾」下車、約2.5km、徒歩約40分。

南国土佐と大正天皇の意外な関係(高知県高岡郡中土佐町)

 今回も「123代・大正天皇」の足跡を探そうとしている時、偶然に立ち寄った小さな町が「大正天皇」と深い関わりがあることを知った。これもご縁と思い高知県高岡郡中土佐町、久礼の町を散策してみた。

 この町、久礼と「大正天皇」の御関係は1915年(大正4年)1月4日午前1時深夜、久礼八幡町(当時町名)より出火、焼失家屋237戸もの大火があった。正月早々に焼け出された町民のことを思い、心をお痛めになった「大正天皇」が復興費350円を下賜されたのだ(当時の1円は現代で考えれば約4,000円、約140万円)。

その下賜された復興費を深く感激した町民は、それまで「地蔵町」という町名を改めて「大正町」と改名した町なのです。

 そんな町のランドマーク的存在で人気の観光スポット「久礼大正町市場」中心に歩いてみた。

「久礼大正町市場」西側のメイン通り。天ぷらや天草、ところてんなどが売られていた。これを肴にビールでも呑みたいところだが、車なので泣く泣く諦めた・・・(当たり前だ)。

「久礼大正町市場」西側の入口。この看板、テレビで見たことがある!

 入口横には「大正天皇」とのご関係が書かれた説明板がある。

市場のアーケード内。屋根から吊るされた幕(大漁旗?)には、ここが舞台となった漫画『土佐の一本釣り』が描かれている。

あっという間に、東側の入り口。ここにも説明板がある、感謝の気持ちを忘れぬ町民の心が嬉しく感じる。

 市場横に鎮座する「久礼八幡宮」、これもなにかの縁と思いお参りをすることにした。

 ここは、海の守護神として古より漁業関係者に崇敬されていて、高知県の土佐三大祭りの一つ「久礼八幡宮秋季大祭」が執り行われている。御祭神は「 応神天皇、

 神功皇后、比売神、市杵島姫神、 湍津姫神、田心姫神」とされている。宗像三女神と関係があるようだ。

本殿で旅の安全を祈り、ここを後にしようと思ったらへんてこりんな物を見つけた~(笑)。

大きな岩にポッカリと穴が空いている。どうやら神社とは関係なく、町の人たちから寄進された白亜紀の石だった。珍しいのが、石の真ん中にポットホールができていることらしい。

境内から見えた「久礼」の海。次は激動の昭和だ、荒海に漕ぎ出そう。

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