第八七回 一〇二代 後花園天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
室町・安土桃山時代 一〇二~一〇七代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

後山国陵(後花園天皇陵)

一〇二代/後花園(ごはなぞの)天皇陵
諱/彦仁 ひこひと 
在位年/西暦一四二八~一四六四年
陵形/宝篋印塔 
皇居/平安京 

所在地 後山国陵 京都府京都市右京区京北井戸町丸山  常照皇寺内 
最寄駅 JR京都駅より車(レンタカー)で、約37km、所要時間約1時間10分。

 先帝の「称光天皇」が嗣子を残さず崩御、そのため1428年に「一〇二代・後花園天皇」として即位する。

 本来は皇統を継ぐ立場にはなかった「後花園天皇」。「先帝・称光天皇」危篤に陥ると、「両統迭立」を要求する南朝寄りの勢力が動き出す気配を見せはじめた。その動きを抑えるため、室町幕府次期将軍の「足利義宣(足利義教)」は「彦仁王(後花園天皇)」を保護し、院政を敷く「後小松上皇(100代天皇)」に対して新帝指名の圧力をかけ誕生した。「後花園天皇」と「先帝・称光天皇」は八親等以上離れた続柄、「48代・称徳天皇」から「49代・光仁天皇」以来658年ぶりの皇位継承だった。

 その御陵は「北朝初代・光厳天皇」が創建した、 「常照皇寺」内にある。「光厳天皇陵」と同域で内庁上の形式は石造宝篋印塔とされている。
 
 

国道477号線を進み大堰川(おおいがわ)の橋を渡れば 「常照皇寺」の石標があった。
国道に別れを告げ、真っ直ぐ進入(約350m)すれば拝観者には無料駐車場がある。
無料駐車場からも御陵に繋がる道があるが、やはり「常照皇寺」の山門をくぐり向かう。石段を上り、約140mほど歩けば御陵が見えた。
また、階段だ・・・(苦笑)。
山に張り付くように見える御陵。少し見上げるように参拝した。

後花園天皇火葬塚

京都府京都市上京区堀川通上御霊前扇町にある火葬塚。最寄駅は京都市営地下鉄「鞍馬口」、
駅から約1kmと近く15分ほどで到着。堀川通りに出れば右折、
目印は「大應寺」の石標、30mも歩けば大通りに面した火葬塚に到着。
お寺と墓地に挟まれた空間に火葬塚がある、正確に言えばお寺、マンション、火葬塚、倉庫、墓地だ。
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