還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
室町・安土桃山時代 一〇二~一〇七代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
深草北陵(後柏原天皇陵)
一〇四代/後柏原(ごかしわばら)天皇陵
諱/勝仁 かつひと
在位年/西暦一五〇〇~一五二六年
陵形/方形堂
皇居/平安京
所在地 深草北陵 京都府京都市伏見区深草坊町
最寄駅 JR奈良線「稲荷」下車、約1300m、徒歩約18分。
「104代・後柏原天皇」は、父の先帝「103代・後土御門天皇」崩御を受けて践祚した。だが「応仁の乱(1467~1477年)」のため朝廷の財政は逼迫しており、「即位の礼」をあげるまで21年かかった天皇。「応仁の乱」の戦禍により荒廃した
「太政官庁」の再建を断念し、「紫宸殿」での「即位の礼」開催を決定することになった。尚、経費節約をするため「朝廷儀式」を中止・縮小し、幕府や本願寺などから費用を集め即位22年目にして、ようやく「即位の礼」を行うことができた。
1526年崩御。御陵は、「深草十二帝陵」とも称されている深草北陵。また、京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内「月輪陵」には「灰塚」がある。