第一三八回 莵道稚郎子の墓 朝日山山頂 <後編>
天皇陵・外伝編-03

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

御 名 莵 道 稚 郎 子(うじのわきいらつこ)
生没年 生年不詳~壬申年
時 代 古墳時代
続 柄 一五代・応神天皇(父) 一六代・仁徳天皇(異母兄)
墓 名 宇治墓
陵 形 前方後円

所在地 宇治墓 京都府宇治市莵道丸山 
最寄駅 京阪宇治線「宇治」下車、約五五〇m、徒歩八分。

山頂にある「もう一つの墓」へ、登山開始・・・。

 もう一つある「莵道稚郎子」の墓、『日本書紀』では「菟道山上」に葬られたと記載されている。江戸時代中期、その記述に基づき「朝日山」の山頂が墓所と見なされ、享保一八年に墓碑の建立が行なわれた。墓所とした「朝日山」は、「平等院」と宇治川を挟んで対岸にあり、「大吉山遊歩道」や「興聖寺」からも行くことができる標高一二二mの山。ただ、この「莵道稚郎子の墓」周辺には古墳の存在が確認されておらず、古学的な裏付けが無いとされている。

上・「宇治上神社」から「さわらびの道」を少し歩く。
下・「さわらびの道」の途中に「大吉山遊歩道」の案内表示が立っている、ここから登山道が始まる・・・。
ジグザグの「大吉山遊歩道」をひたすら登ると、頂上手前付近に「大吉山展望台」がある。疲れた~、少し休憩。
上・休憩後、イヤイヤ歩き出すと間もなく頂上付近の「三角点」
下・「大吉山」は別名「仏徳山」とも言う、ありがたそうな名前だ。ただ、我輩はまだまだ歩かなければならず、「仏」の「徳」などよりも「筋斗雲(きんとうん)」が欲しい! 
上・「大吉山(仏徳山)」から「朝日山」へ伝いに歩く。途中、分岐がある、下へ降れば「琴坂」が有名な「興聖寺」だ。帰りはこの道を降ればいい!
下・一度、下って・・・また、登れば「朝日山」山頂の観音堂らしき建物が見えてきた。
右・「朝日山観音堂」は麓にある「興聖寺」の「奥の院」だそうだ。
左・石像の観世音菩薩さまがおられる。もちろん、賽銭を入れ手を合わす「怪我がないよう下山できますよう」と「今日も旨い酒が呑めること」をだ・笑。
「朝日山観音堂」の直ぐそばに佇む「莵道稚郎子の墓」。苦労して辿り着いた割には何だかなぁ・・・、墓というよりも石標のように感じる。
残念な気持ちもこの景色を眺めると吹き飛んでしまう! 眼下には「平等院」が見えた。
上・先ほどの分岐まで戻り「興聖寺」に向かう、山道を降れば寺の裏についた。本堂を見学したければ、山門前の券売機でチケット(五〇〇円)を買ってください。
下・「開山堂」の前には、「一〇九代・明正天皇」より贈られた「金明竹」が植えられていた。 
左・拝観料を払ったので堂々と寺内に突入! ここには変わった大黒像があるので興味を持った、シブチンな我輩でも拝観料を払い見学する時もある。
右・「本堂」から「僧堂」への回廊の途中に「三面大黒尊天」像が祀られていた。正面は「大黒天」、右面に「毘沙門天」、左面に「弁才天」・・・まるで妖怪のような神様だ。おっと、こりゃ失礼いたしました。

 
 
参考マップ

山行記録: 宇治 仏徳山(大吉山)と朝日山
2024年02月24日(日帰り) 京都・北摂, ハイキング / omauyamaの山行記録
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