還暦前、写真家の「写して候・寄って候」 天皇御陵踏破の旅
第四二回 平安時代<前期> 五六代 清和天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写
してみたい。

写真取材 赤木 賢二

水尾山陵(清和天皇陵)

五六代/清和(せいわ)天皇陵
諱/惟仁 これひと
在位年/西暦八五八~八七六
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地 水尾山陵 京都府京都市右京区嵯峨水尾清和
最寄駅 JR山陰本線・嵯峨野線「保津峡」から、約5km・徒歩約60分

 55代文徳天皇の崩御に伴い、わずか9歳で即位した「清和天皇」。言わずと知れた、武門の棟梁となる清和源氏の祖になる天皇。876年に9歳の貞明親王(陽成天皇)に譲位、太上天皇となった。その2年半後の879年に出家し、畿内巡幸に旅立ちその途中に、絶食の激しい苦行を行ったと言われている。その後、31歳で崩御された。火葬が生前からの希望で、遺骨は洛西の水尾に埋葬された。御陵の所在がほぼ確かな平安時代の天皇陵。
 

保津川を眺め駅から出発。とにかく保津川沿いに「水尾の集落」まで府道55号線を歩いた・・・。
集落を抜けると御陵への分岐の案内があった。
分岐から一挙に谷へ下り、小川に架かる橋を渡れば登りが始まった・・・。これは御陵の中で一・二を争う秘境・難所御陵だ(苦笑)。
漸く着いた、直に動くことができず、休憩を取っていたら陽が差しだした・・・なんて言うことだ。

水尾山陵

 
 
金戒光明寺

金戒光明寺・文殊塔の東側にある「清和天皇火葬塚」。遺骨は水尾山陵にある、謂わば火葬を行なった場所を示す塚なのだろう。
文殊塔に向かう階段の右手に「通称・アフロ地蔵」がおられた(笑)。
階段上から振り返り一枚、京都だなぁ。

 
 
清和院

清和天皇が譲位後の後院とした「清和院」の「染殿第跡(清和院御門)」が
現在・京都御苑の東に残っている。
洛陽三十三所観音霊場・清和院のお堂のなかに、
通称「清和地蔵尊」と言われる木造の地蔵菩薩立像がおられる。

染殿第跡

清和院

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