還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第十二回 古墳時代 二一代〜二二代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

雄略天皇陵

拝所は円墳ではなく、方墳の東側に位置している。
 
 

二一代/雄略(ゆうりゃく)天皇陵
和風諡号/大泊瀬幼武天皇 おおはつせわかたけのすめらみこと
在位年/西暦四五六~四七九
陵形/円丘    
皇居/泊瀬朝倉宮(奈良県) 

所在地 丹比高鷲原陵 大阪府羽曳野市島泉8丁目
最寄駅 近鉄南大阪線「高鷲」から徒歩約一二分

 雄略天皇陵は、円墳が少ない古市古墳群の中にあって、円墳としては最大の規模を誇っている。
 この御陵の最も大きな特徴は、直径七五mの円墳と、その東側にある島泉平塚古墳という一辺五〇mの方墳の二つの古墳を一つとして治定してること。
 
 

丹比高鷲原陵(雄略天皇陵

雄略天皇陵

西側の長尾街道沿いからは、きれいな円墳を眺めることができる。
 
 

泊瀬朝倉宮伝承地 春日神社

泊瀬朝倉宮伝承地  春日神社
泊瀬朝倉宮伝承地  春日神社

泊瀬朝倉宮の伝承地は奈良県桜井市に四カ所もある。有力視されている春日神社付近。
 
 

泊瀬朝倉宮伝承地 白山比咩神社

泊瀬朝倉宮伝承地  白山比咩神社
泊瀬朝倉宮伝承地  白山比咩神社

白山比咩(しろやまひめ)神社、境内には伝承地を示す説明板の他に万葉集碑や雄略天皇御製歌碑がある。
 
 

泊瀬朝倉宮伝承地 十二神社

泊瀬朝倉宮伝承  十二神社
泊瀬朝倉宮伝承  十二神社

上岩坂地区の一番奥にある十二神社の境内に伝承地を示す説明板があるが、谷の奥の急傾斜地であることから宮があった可能性は低いだろう。ただ、写真の被写体としては良かった、日向きの良い時に来てみたい。
 
 
 

丹比高鷲原陵

二二代/清寧 (せいねい)天皇陵
和風諡号/白髪武広押国稚日本根子天皇 しらかのたけひろおしわかやまとねこのすめらみこと
在位年/西暦四八〇~四八四
陵形/前方後円    
皇居/磐余甕栗宮(奈良県) 

所在地 河内坂門原陵 大阪府羽曳野市西浦6丁目
最寄駅 近鉄南大阪線「古市」から徒歩約一八分

 清寧天皇陵は、前方部の幅が後円部の幅の約2倍あり、前方部が大きいのが特徴。
 墳丘の長さ一一五m、前方部の幅一二八m・高さ十一m、後円部は直径六三m・高さ約十一mの前方後円墳。
 近鉄南大阪線「古市」から西へ「竹内街道」を経由、途中に日本武尊白鳥陵沿いを通り、御陵に向かうのがおススメ。
 
 

河内坂門原陵(清寧天皇陵

清寧天皇陵
清寧天皇陵

東側の後円から見た御陵と西側の拝所。
 
 

磐余甕栗宮伝承地 御厨子神社

磐余甕栗宮伝承地  御厨子神社
磐余甕栗宮伝承地  御厨子神社

磐余甕栗宮の伝承地は、JRまほろば線「香久山」駅から南に徒歩約一六分にある、
御厨子神社と言われている。参道もきれいに整備させていて、その入口付近には大津皇子の碑がある。
 
 

輪石

月輪石

御厨子神社の境内に奉られている「月輪石」と呼ばれる巨石。流行のアニメに出て来るような石だ。
 
 
 

河内坂門原陵

磐余甕栗宮

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