還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二

御 名 邦 良 親 王(くによししんのう)
生没年 正安二年~ 正中三年
時 代 鎌倉時代末期
続 柄 九四代・後二条天皇(父)
墓 名 邦良親王墓
墓 形 方丘
所在地 京都府京都市左京区北白川追分町(北白河陵 横)
最寄駅 京阪本線「出町柳」下車、約一,二km、徒歩約一五分。
南北の争いのなか二七歳で薨御した皇太子の御墓
「邦良親王」は「九四代・後二条天皇」の第一皇子、早くから「大覚寺統(南朝)」の正嫡として期待され養育されていた。「邦良親王」九歳に、父帝「後二条天皇」が崩御する、本来ならば(鎌倉幕府の調停案である「大覚寺統(南朝)」「持明院統(北朝)」より交互に皇位継承)次の「花園天皇(持明院統)」の皇太子に立つべきであるが、幼い親王を皇太子にする事に不安があり見送られた。代わりに「後二条天皇」の皇弟で叔父でもある「尊治親王(後の後醍醐天皇)」を皇太子に立てる事になった。
その十年後、「九五代・花園天皇(持明院統)」から「九六代・後醍醐天皇(大覚寺統)」に皇位が譲られ、「邦良親王」が立太子された。しかし、「持明院統(北朝)」と「大覚寺統(南朝)」の皇位継承争いのなか、邦良親王は二七歳で薨御した。
御墓は父帝「後二条天皇」の「北白河陵」拝所横にある、墓形は方丘とされている。

京大農学部前のバス停、この向かいに「後二条天皇陵(北白河陵)」がある。そこに「邦良親王」の墓もある。


「後二条天皇陵(北白河陵)」入口、二度目の参拝になる。


「後二条天皇陵(北白河陵)」拝所の左手側に墓がある。

墓の中央あたりには紫陽花が咲いている、自生したのか宮内庁が植えたのかわからない・・・。

父帝の「後二条天皇陵(北白河陵)」にも、当然、参拝した。

