還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第六〇回 七四代 鳥羽天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

安楽寿院陵(鳥羽天皇陵)

七四代/鳥 羽(とば)天皇陵
諱/宗仁 むねひと 
在位年/西暦一一〇七~一一二三
陵形/方形堂  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地 安楽寿院陵 京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町
最寄駅 近鉄京都線、京都市地下鉄「竹田」から、約400m・徒歩約5分。

 73代・堀河天皇の皇子。生後間もなく母の「苡子」が没し、祖父の白河法皇(72代・天皇)の元に引き取られ養育された。誕生7か月で立太子、父の73代・堀河天皇の死後、わずか5歳で即位する。幼い天皇のため、実際の政務は白河法皇が執った。鳥羽天皇の治世において白河院政が本格化していった。
 その御陵は宮内庁上の形式は「方形堂」。鳥羽天皇生前に「安楽寿院境内に三重塔(本御塔)」の寿陵を営み、崩御後遺詔により遺骸をこの塔下に納めた。その後に焼失、1612年に仮堂が建てられたが、元禄以後、幕末まで「近衛天皇陵」が「鳥羽天皇陵」であると誤認されていた。1864年の修陵と共にお堂(法華堂)も立て直され、正式に「鳥羽天皇陵」として修正され、現陵となった。
 尚、鳥羽天皇は皇后「得子」の死後その遺骸を納めるように言い残したが、得子は新御塔に入るのを拒否し、火葬されて遺骨は高野山に納められた。
 
 

御陵の手前で招き猫が現れた、奥が鳥羽天皇陵だ。
御陵拝所、参道も美しく整備されている。堂形の御陵は初めてだ、江戸に改修させただけあり近代的に感じる(笑)。

鳥羽天皇御所・三条烏丸殿跡

烏丸御池駅近く、「みずほ銀行・京都中央支店」の煉瓦の壁面に「三条南殿遺址」案内板がある。
駅の東側の「京都電電ビル西館(京都市登録有形文化財第1号)」、
現在の商業施設「新風館」には「三条東殿遺址」の説明があった。

三条南殿遺址

三条東殿遺址

鳥羽天皇皇后得子(美福門院)・高野山陵

高野天川線沿いにある「摩尼宝塔」の近く対面に御陵の入口がある。高野山参拝もして帰った。
だが、女人禁制の高野に皇后の御陵とは・・・謎を感じる(笑)。
タイトルとURLをコピーしました