五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
駅を降りてすぐの南西方向から御陵を望む、堀の横には集合住宅が建っている。
一九代/允恭(いんぎょう)天皇陵
和風諡号/雄朝津間稚子宿禰天皇 おあさづまわくごのすくねのすめらみこと
在位年/西暦四一二~四五三
陵形/前方後円
皇居/遠飛鳥宮(奈良県・未訪問)
所在地 惠我長野北陵 大阪府藤井寺市惣社1丁目
最寄駅 近鉄南大阪線「土師ノ里」から徒歩約九分
允恭天皇は「倭の五王」のうち「倭王済」に比定されてるが、元々病弱の身であったためか、
四二年もの御代に事績はほとんど記されていない。
古市古墳群の北東部、国府台地の北端近くに位置する前方後円墳。築造時期は5世紀後半。
駅からのアクセスも良く、拝所には駐車場もある、長尾街道を経由して御陵を一周するのもいい。
宮跡にはまだ行けていない、今後の課題を残している。
允恭天皇陵
北東の角に拝所に続く道がある。
民家の裏にある拝所。ここもきれいに整備されている。
惠我長野北陵
遠飛鳥宮
二〇代/安康(あんこう)天皇陵
和風諡号/穴穂天皇あなほのすめらみこと
在位年/西暦四五三~四五六
陵形/方丘
皇居/石上穴穂宮(奈良県)
所在地 菅原伏見西陵 奈良県奈良市宝来4丁目
最寄駅 近鉄橿原線「尼ヶ辻」から、バス「宝来」下車 徒歩約五分
安康天皇陵は、奈良市郊外の「阪奈道路」と「第二阪奈道路」が分岐する地点近くにある天皇陵。
アクセスは良くないが、古い集落と里山、ゴルフ場に囲まれるようにある御陵。
観光客もあまり訪れないので、静かな時間を楽しんで欲しい。歩くなら、
近鉄橿原線「尼ヶ辻」から暗越奈良街道を経由して約二九分。
安康天皇陵
拝所は暗越奈良街道から外れ、古い集落を抜けると現れる。
石上穴穂宮
石上穴穂宮は「JR天理」から、徒歩約二〇分の穴穂神社とされている。
天理駅から線路沿いに南に向かい、三叉路を右に曲がれば(西方向)、宿場町のような古民家が建ち並ぶ。
その道をいけば、通り沿いに目立つ一本の木、その下の壁に伝承地説明文のパネルがある。