還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代 <中期> 一一三~一一七代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
月輪陵(後桜町天皇陵)
一一七代/後桜町(ごさくらまち)天皇陵
諱/智子 さとこ
在位年/西暦一七六二~一七七〇年
陵形/九重塔
皇居/京都御所
所在地 月輪陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺内
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。
「117代・後桜町天皇」は「115代・桜町天皇」の第二皇女、先帝「桃園天皇」とは異母弟である。先帝の皇太子「英仁親王」が即位する予定だったが、5歳と幼いため24歳で即位した。また、「宝暦事件」後なので幕府の意向もあった即位とも言われている。
その御代は9年と短く、その後、甥である「英仁親王」に譲位し「太上天皇」となった。1813年、皇子を残さぬまま74歳で崩御した。現在、皇室史における最後の女性天皇である。
その御陵は「泉涌寺」内にある「月輪陵」に治定されている。
青蓮院門跡 粟田御所
今回も「後桜町天皇」の足跡を訪ね、京阪本線「三条」から「青蓮院門跡」に向かった。徒歩、約17分・約1200mで到着。
この門跡寺院は、1788年の大火で「後桜町上皇(天皇)」の御所が焼けたことにより避難してきた。そして、ここが仮御所となり、「粟田御所」と呼ばれるようになった。「薬医門」の横には大きな楠が立っている、全部で五本あり、京都市の天然記念物指定を受けている。
院内に入り、「小御所」と書かれた渡り廊下を進む。この渡り廊下に「豊臣秀吉」の奉納と伝えている「一文字手水鉢」がある、あまり惹かれないのでスルーする(笑)。
さすがは仮御所だ。襖絵には狩野派によるもので「重要文化財」に指定されているものもあった。
「小御所」の西側に建つ「宸殿」にもお邪魔してみた。ここにも歴代の天皇の足跡が残されていた。「孝明天皇」の輿などが飾ってある。
庭に出て「龍心池」の辺りを歩き、「後桜町上皇(天皇)」が「学問所」としてお使いになった「好文亭」へ。「好文亭」向かう途中の庭は「霧島の庭」と言い、小堀遠州作と伝えられている。春には花が咲き乱れるのだろうな、春にもう一度来てみたいものだ。
この美しい庭を見て「後桜町上皇(天皇)」は勉学に励んだのか・・・、私にもこんな庭が家にあれば、もう少し勉学に励んだはずさ(笑)。
「龍心池」にかかる美しい石橋は、「跨龍橋」と呼ばれ花崗岩の切石二枚で作られている。本当にため息が出るほど美しい庭だ。こんな庭が欲しいと呟き、この旅を終えた。