還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四八回 六二代 村上天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

村上陵(村上天皇陵)

六二代/村上(むらかみ)天皇陵
諱/成明 なりあきら
在位年/西暦九四六~九六七
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地/村上陵 京都府京都市右京区鳴滝宇多野谷
最寄駅/京福北野線「宇多野」から、約1km・徒歩約15分。

 62代村上天皇は944年に61代朱雀天皇の皇太弟となり、朱雀天皇の譲位により946年に即位した。叔父の関白・藤原忠平が死去すると、摂関を置かず親政を行なったと言われていが、政治の実権は摂関家の藤原実頼・師輔兄弟にあったとされている。
 また、「承平天慶の乱」戦費により朝廷の財政が逼迫していたので倹約に努め、文化面では内裏歌合せを主催するなど平安文化を開花させた天皇といえる。
 

駅より宇多野小学校と妙光寺を目指して歩けばいい、妙光寺の横に参道入口がある。
振り返って見れば、まぁまぁな上り坂だ。
上り坂が終われば、次には石段だ・・・。これも、結構続いて漸く拝所が見えた。

 
村上陵
ルート・妙光寺(参道入口)まで

御陵

 
 
平安宮内裏弘徽殿・清涼殿・承香殿跡

京都地下鉄「二条」から「千本通り」を北へ、約15分ほど歩けば「新出水通」。
そこを右折すれば弘徽殿・清涼殿・承香殿跡の通りに着く。

平安京内裏承香殿跡

 
 
相國寺

村上天皇は、御所清涼殿の梅の木が枯れたので、その代わりの梅の木を探したと言われている。
その梅の木「鶯宿梅」があるのが「相國寺」だ。
紀貫之の娘が詠んだ歌「勅なればいともかしこき鶯の宿はととはばいかがこたへむ」雅だな(笑)。

相國寺

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