還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代 <後期> 一一八~一二一代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
後月輪東山陵(孝明天皇陵)
一二一代/孝 明(こうめい)天皇陵
諱/統仁 おさひと
在位年/西暦一八四六~一八六六年
陵形/円丘
皇居/京都御所
所在地 後月輪東山陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺内
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。
先帝「仁孝天皇」の第4皇子「121代・孝明天皇」は、16歳にて幕末の嵐の中で即位し、生涯を平安京内で過ごした最後のた天皇。時に米・英・仏・露の艦隊が開国を求めるなか、天皇は終始攘夷を主張した。幕府に勅命したが、大老「井伊直弼」によりアメリカと通商条約を結んでしまった。腰くだけとなった幕府なのだが「孝明天皇」は、薩長の倒幕派を嫌いあくまでも幕府による攘夷を望んだ。そのため、崩御にあたっては諸説語られている。
その御陵は泉涌寺内にある「後月輪東山陵」に治定されている。また、埋葬は従来の仏式葬の石塔から古式に改められ、「月輪陵」の裏山に「円墳」を模した御陵が築かれた。ただし、葬儀は泉涌寺で仏式にて営まれた。現在では、最後の仏式葬儀の天皇となった。
「泉涌寺」の駐車場付近から御陵参道に向かった。
上・向かって右に進めば「泉涌寺」へ行く道、左が参道だ。
下・しばらく進むと登りになる、右手には「泉涌寺」の甍が見える。
参道の終点が「後月輪東山陵」の拝所。
孝明天皇陵から、御陵の形態が古代の陵墓風に回帰していくらしい。
それは昭和天皇陵にも見受けられる。
参道が拝所の先へと伸びていた、少し進んでみたら木々の隙間から鳥居が見えた!
また、不敬なことをしてしまった・・・(苦笑)。
最後にもう一度、御陵をひき画で一枚。
気になる場所があるので、参道を戻って「月輪陵」を目指すことにする。
「月輪陵」の奥に進むと「後月輪東山陵」を見上げるかたちになる。そこには柵で侵入禁止にされている階段がある。この石段を上れば「後月輪東山陵」拝所に直結する感じだ、皇室の方だけが使用できる参道なのだろうか・・・。
この後、「孝明天皇」の足跡を探しに旅立った(笑)。そのことは次回に紹介することにしよう。後編へ続く。