還暦前、写真家の「写して候・寄って候」 天皇御陵踏破の旅
第三二回 白鳳・奈良時代 四五代聖武天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写
してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

佐保山南陵(聖武天皇陵)

聖武天皇陵

四五代/聖武(しょうむ)天皇陵
和風諡号/天璽国押開豊桜彦天皇 あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと
在位年/西暦七二四~七四九
陵形/山形    
皇居/恭仁京(京都府木津川市) 紫香楽宮(滋賀県甲賀市信楽町) 平城京(奈良県奈良市)
※四四代元正天皇と同宮 

所在地 佐保山南陵 奈良県奈良市法蓮町
最寄駅 近鉄奈良線「近鉄奈良」より、約一,五km・徒歩約二〇分

 聖武天皇は四二代文武天皇の第一皇子。文武天皇崩御後、父方の祖母元明天皇が中継ぎとして即位し、その後また、伯母の元正天皇が「中継ぎの中継ぎ」として皇位を継いだ。そして、二四歳のときに元正天皇より譲位され即位する。この御世には、皇室の長屋王と藤原一族の対立「長屋王の変」や「藤原広嗣の乱」がおき、災害では「天平地震」「天然痘の大流行」した。その社会不安を解消するために「国分寺建立の詔」、「東大寺盧舎那仏像の造立の詔」を出し仏教によって国を治めようとした。
 また、宮を「恭仁京」、そぼ四年後に「難波宮」「紫香楽宮」と次々と遷都し、最後には元の「平城京」に戻るという古代史の謎のひとつとなっている。その後、聖武天皇は出家して、娘「阿倍内親王」に譲位し、男性初の太上天皇になる。
 

聖武天皇陵
聖武天皇陵
御陵は奈良市内の住宅街にある、車道より拝所に向かう参道は約三〇〇mと長く美しく整備されている。

 
 
恭仁京(京都府木津川市)

恭仁京
恭仁京
恭仁京宮跡伝承地にはJR関西本線「加茂」より、、約二km・徒歩約三〇分。
ここで毎月、第二・四日曜日には自家消費と同じ野菜・果実が販売される「恭仁京朝市」が開催されているらしい、
賑やかな時にもう一度来てみたい、平日は静かな所だ

 
 
紫香楽宮(滋賀県甲賀市信楽町)

紫香楽宮
紫香楽宮跡伝承地には信楽高原鉄道「紫香楽宮跡」より、徒歩約八分。県道より宮跡に入る道には「宮跡」バス亭がある。
紫香楽宮
紫香楽宮
紫香楽宮跡・内裏野地区に向かう道は、「トトロ」が出てきそうな静寂に包まれている(笑)。
紫香楽宮
紫香楽宮の所在は長い間謎だったが、近年、朝堂をはじめとする遺跡が確認され、その実像が明らかになってきている。
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