第九二回 一〇七代 後陽成天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
室町・安土桃山時代 一〇二~一〇七代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

深草北陵(後陽成天皇陵)


深草北陵と瑞龍寺・村雲御所(後陽成天皇勅願寺)

一〇七代/後陽成(ごようぜい)天皇陵
諱/和仁 かずひと
在位年/西暦一五八六~一六一一年
陵形/方形堂 
皇居/京都御所 

所在地 深草北陵 京都府京都市伏見区深草坊町
最寄駅 JR奈良線「稲荷」下車、約1300m、徒歩約18分。

 「106代・正親町天皇」の「東宮・誠仁親王」が薨去したことにより、その皇子である「後陽成天皇」が皇祖父の「正親町天皇」から譲位された。

 「107代・後陽成天皇」の在位中には「豊臣」と「徳川」の二人の為政者が現れ、この二人の天皇に対する姿勢は真逆だった。「豊臣政権」では秀吉が天下統一を成し遂げるため、天皇(朝廷)の権威を高め「関白、太閤」の位を利用し統一を成し遂げた。また、1588年に「足利義昭」が征夷大将軍職を朝廷に返上させることにより、長らく続いてきた「室町幕府」を消滅させた。その後、実質の政権が徳川に移ることで宮中は不遇の時代に突入していく。

 その御陵は「深草北陵」で、泉涌寺内「月輪陵」には「灰塚」がある。
 
 

瑞龍寺・村雲御所(後陽成天皇勅願寺)

 今回も深草北陵・・・、これでこの御陵も最後になる。気を取り直して「後陽成天皇」の足跡を訪ねに滋賀県近江八幡まできた(笑)。JR琵琶湖線「近江八幡」の駅を降り、八幡山ロープウェイ「公園前」乗り口まで徒歩約40分、いい運動になる距離だ。ロープウェイ乗り口の手前に「日牟禮八幡宮」の大きな鳥居が建っている。

 いつもなら歩くのだけれど、この日は景色を撮影したいのでロープウェイで登る(本当は楽したいだけだが・笑)。琵琶湖から逆向きだけど美しい眺望だ。山頂には目的の「後陽成天皇・勅願寺」の「瑞龍寺」が建立されている。

 「瑞龍寺」は日蓮宗唯一の門跡寺院(皇族・公家が住職を務めるお寺)で、「関白・秀次公」が非業の死を遂げたことを弔うため「後陽成天皇」から寺号・寺領千石・菊花御紋・紫衣を賜り、創建されたお寺。元は京都嵯峨にあったみたいだが昭和36年にこの地に移築されたようだ。

 ロープウェイ「山上」駅からすぐの「秀次公」が城主だった「八幡山城 出丸跡」からの眺望。
 ここから「秀次公」は美しい琵琶湖を眺めていたのだろうか・・・、その後に訪れる悲劇も知らずに。

「八幡山城 出丸跡」から「瑞龍寺・村雲御所」へ

本堂前の「関白・豊臣秀次公」の像に迎えていただいた。

本堂を入って奥に進めば「村雲御所」跡へ繋がる、菊の御紋が輝いている。

「村雲御所」の中庭に「村雲御所瑞龍寺門跡」の石碑が建っている、もちろんそこには菊の御紋がある。非業の死を遂げた「秀次公」に合掌してこの旅を終える。

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