還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五一回 六五代 花山天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

紙屋川上陵(花山天皇陵)

五山の送り火で有名な、大北山にある大文字山の「左大文字」を借景にして。

六五代/花山(かざん)天皇陵
諱/師貞 もろさだ
在位年/西暦九八四~九八六
陵形/方丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地/紙屋川上陵 京都府京都市北区衣笠北高橋町
最寄駅 京福電鉄北野線「北野白梅町」から、約1,2km・徒歩約20分。

 65代花山天皇は969年に生後10か月で立太子し、984年に64代円融天皇の譲位を受けて17歳で即位した。
その在位期間は、わずか2年と短く、まだ19歳という若さで「蔵人の藤原兼家」の謀略にはまって退位し花山寺で出家し太上天皇となる。 奇行(女性スキャンダル)の多い天皇と今も語り告がれている。
 その御陵は『日本紀略』によると「葬所は紙屋川の上、法音寺の北」とあり、幕末に「法音寺」の旧跡にもとづいて現在地に治定されている。それに、京都市山科区「元慶寺」、兵庫県三田市「花山院菩提寺」にも天皇の墓が残されている。

閑静な住宅街に御陵がある、女性スキャンダルが多い天皇にしては静かな場所だ。

 
紙屋川上陵(花山天皇陵)

 
 
元慶寺(京都市)

花山天皇が出家し花山法皇(花山院)となった「西国三十三カ所番外札所・元慶寺」
天皇の墓が残っている・・・。最寄駅は、京都市地下鉄東西線「御陵」より、徒歩20分。

 
 
中山寺(兵庫県宝塚市)

比叡山で修行をした後(本当だろうか・・・)、「中山寺の弁光上人」を伴い那智山で修行。
観音霊場を巡拝され、途絶えていた西国三十三所観音巡礼を再興された。・・・・・。
「西国三十三カ所・第二十四番札所・中山寺」の参道に「花山院」の石碑があった。

 
 
花山院菩提寺(兵庫県三田市)

花山法皇の即位時にお仕えしていた、女官12人が麓に住み着いたと言われる。出家しているのに女人連れとは・・・、「西国三十三カ所番外札所・花山院菩提寺」にある陵墓だそうだ。
9 「有馬冨士 麓の霧は 海に似て 波かと聞けば 小野の松風」 花山法皇の詠んだ和歌のイメージで一枚。

 
 
法皇の宮跡伝説(石川県小松市)

石川県小松市の「花山神社」の近くにあった「法皇の宮跡」、そこに陵墓のようなものがあった・・・謎多き天皇だ。
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