第七〇回 八五代 仲恭天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

九条陵(仲恭天皇陵)

仲恭天皇陵

八五代/仲恭(ちゅうきょう)天皇陵
諱/懐成 かねなり
在 位年/西暦一二二一~一二二一年
陵形/円丘
皇居/平安京

所在地/九条陵 京都市伏見区深草本寺山町
最寄駅/京阪本線「鳥羽街道」下車、徒歩約15分。

 85代仲恭天皇は、父・84代順徳天皇と祖父・82代後鳥羽天皇(上皇)の鎌倉幕府執権・北条氏追討「承久の乱」を実行するため、1221年に父から譲位され4歳で践祚する。だが、幕府軍に敗北し父・祖父ともに配流され、その後、鎌倉幕府により皇位を廃された。即位より在位期間78日と最も短く、時代に翻弄された天皇。

 また、長く天皇とはみとめられていなかったが、明治政府により第85代天皇として歴代天皇に加えられた。

 その御陵は、京都市伏見区深草本寺山町にある「九條陵」とされているが、その御陵とは別に京都市東山区本町にある「東山本町陵墓参考地」に仲恭天皇が被葬候補者に想定されている。
 
  

仲恭天皇陵
石段の坂を登り見晴らしが良くなった場所に、なぜだか時代が違う「崇徳天皇皇后陵」があり、
その前を通り過ぎ奥に進む。そうすれば石の表示といつもの宮内庁の表示板が現れた。
仲恭天皇陵
表示板を右に曲がれば、御陵だ。写真奥が表示板のある所。
仲恭天皇陵
仲恭天皇陵
薄曇りから、完全な曇天になった・・・、できれば再撮をとも考えたがこのまま掲載(笑)。

東山本町陵墓参考地

仲恭天皇陵
九条陵から徒歩約12分の「もうひとつ」の陵墓参考地へ向かう。
奈良街道沿い住宅が立ち並ぶ中に墓参考地がある。
右手前の住宅が邪魔で良く見えないが、奥には構造物だと思える、こんもりとした土饅頭がある。

若宮八幡宮

若宮八幡宮
何げなく訪問した「若宮八幡宮」、主祭神は「応神天皇、仲哀天皇、神功皇后」だが
相殿神に「仲恭天皇」が祀られていた。
若宮八幡宮
ここは「美人祈願」で有名で、境内にある大きな鏡に自身の姿を映すと「本当の美しさを映しだす」といわれている。
また、縁結びのハート石がある、密かに女性に人気の穴場スポットらしい。還暦越えには関係ない(笑)。
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