第一一〇回 一二二代 明治天皇陵 <特別編>

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
近現代 一二二~一二四代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

伏見桃山陵と皇居・正門石橋(眼鏡橋)

一二二代/明治(めいじ)天皇陵
諱/睦仁 むつひと・祐宮(さちのみや) 
在位年/西暦一八六七~一九一二年
陵形/上円下方 
皇居/江戸城(東京城)

所在地 伏見桃山陵 京都府京都市伏見区桃山町古城山 
最寄駅 京阪本線「伏見桃山」下車、約2km、徒歩約30分。

花の都、大東京。JR・東京駅舎にきました。

皇居一般参観に参加

 徳川家康が江戸幕府を開いてから約260年の間、征夷大将軍の住まいであった江戸城。その江戸城を含め、江戸の町に総攻撃を決めていた新政府軍だったが、新政府軍の「西郷隆盛」と幕府側の「勝海舟」との談判により無血開城となった。

 この時の新政府は、深刻な財政難で新たな都を開発する余禄などない中で、その後「日本郵政制度の父」と呼ばれる「前島密」が「江戸遷都論」を提案した。無血開城が功を奏して、数月後、江戸は「東京」に、江戸城は「東京城」に改称され、1868年(明治元年)に「明治天皇」が東京城に入城なされた。ただ、この入城は2ヶ月しか江戸城に滞在しておらず、翌年3月に改めて東京に行幸(東幸)として入る。この時に「東京城」は「皇城」へと名を変え、現在の皇居となった。

上・東京駅舎を出て、西に「行幸通り」へと進む。

下・外濠の「和田倉先濠」の袂に「元・宮城和田倉門守衛所」が残っている。そこから覗いて周囲を警戒する(笑)。

「元・宮城和田倉門守衛所」を『怪しいものではございません』と思いながら「皇居前広場」へ。

上・ニュースなどでよく見る風景が広がっている。完全に「おのぼりさん」だな。

下・「皇居前広場」の南側(日比谷濠)には、東京美術学校(現・東京芸術大学)が製作した忠臣「楠木正成」の騎馬像がある。南北朝時代の訪問先を思い出すな・・・。

 「皇居一般参観」の時間が近づいてきた、先ほどの「和田倉先濠」まで戻り内濠の「桔梗濠」まで足をすすめる。

上・「桔梗濠」側を見張る「巽櫓(桜田二重櫓)」。さらに進むと一般参観のスタート地点に到着。一般参観は無料で実施している。

下・一般参観はここ「桔梗門」から入城する。ドキドキしてきた(笑)。

「桔梗門」に入れば、まず「窓明館」で手荷物検査・参観申込書への記入と提出(当日受付のみ)・参観の説明を受ける。

右・その向かいに「旧枢密院庁舎(現・皇宮警察本部)」の建物があった。コース外なので、そっと撮影した(ここでも不敬だ・・・)。

左・受付の「窓明館」から西に進むと「富士見櫓」が目に入る。現存する三つの櫓のうちの一つだそうだ。

そして、内濠沿いに「Sの字カーブ」をすれば、いつもお世話になっている「宮内庁」。御所建設中の一時期、最上階には天皇御一家が住んでいらっしゃったようだ。

内濠の「蛤濠」と「二重橋濠(湟池)」の間にある「坂下門」。

上・皇居敷地内からの「坂下門」

下・外から見た「坂下門」

緩やかな坂の上には、「一般参賀」でご一家がお出ましされる「長和殿」が見える!

「長和殿」前の「宮殿東庭」。思った以上に広い!!

「長和殿・車寄」。ここで、歴代陛下は国賓などを迎えているのか。

「長和殿・ベランダ」。言わずと知れた、国民からの祝賀をお受けになり、陛下からのお言葉がある「中央部ベランダ」だ。

「長和殿」の南側には「正門鉄橋(二重橋)」に繋がる「宮殿・中門」。

上・「中門」を出れば「正門鉄橋(二重橋)」だ。橋には美しい水銀灯が並んでいる。

下・橋からは「伏見櫓」がよく見えた。

「正門鉄橋(二重橋)」から見た「正門石橋(眼鏡橋)」

皇居の外から見た「正門石橋(眼鏡橋)」

さぁ、次の目的地へ・・・・。
 
 

皇居一般参観ルート

イラストマップ - 宮内庁
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