還暦前、写真家の「写して候・寄って候」 天皇御陵踏破の旅
第三七回 平安時代<前期> 五一代 平城天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写
してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

楊梅陵(平城天皇陵)

平城天皇陵

五一代/平城(へいぜい)天皇陵
和風諡号/日本根子天推国高彦尊 やまとねこあめおしくにたかひこのみこと
在位年/西暦八〇六~八〇九
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇代桓武天皇と同宮

所在地 楊梅陵 奈良県奈良市佐紀町
最寄駅 近鉄奈良線・京都線・橿原線「大和西大寺」から、約1,8キロ、徒歩約25分。

 32歳で即位した平城天皇。即位後すぐ、弟の伊予親王の謀反が発覚、伊予親王は捕縛され自害した。また、先帝・桓武天皇の政策により国の財政は苦しくなっていた。平城天皇はこれを改善するため様々な政策を行い財政再建に力を発揮した。
 だが、皇太子時代より妃の母である「藤原薬子」やその兄「藤原仲成」を寵愛することにより、朝廷内では平城天皇に対する反発が強まり、わずか3年で退位し、809年に「平城上皇」となった。
 御陵は平城京大極殿跡のすぐ北に位置する。かつては全国最大の円墳と考えられてきたが、発掘調査により前方部が平城京築造の際に取り壊された前方後円墳だったことが判明している。
 

平城天皇陵
平城天皇陵
平城京跡すぐ近くの住宅街に御陵がある。
平城天皇陵
平城天皇陵
民家に挟まれた拝所への参道。左右からの御陵を撮影。
平城天皇陵
住宅街と宮跡の境目から第一次大極殿を見る。ここで眠るのは奈良の地が恋しかったんだろうか。 
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