還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第二六回 白鳳・奈良時代 三九代 弘文天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写
してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

長等山前陵(弘文天皇陵)

弘文天皇陵

三九代/弘文(こうぶん)天皇陵
和風諡号/なし
在位年/西暦六七一~六七二
陵形/円丘    
皇居/近江大津宮 ※三八代天智天皇 同宮(滋賀県大津市)

所在地 長等山前陵 滋賀県大津市御陵町
最寄駅 京阪電鉄石山坂本線「大津市役所前駅」より、徒歩約二分

 父・天智天皇の後継者となったが「壬申の乱」で叔父・大海人皇子(後の天武天皇)に敗北し自害する、悲運短命の天皇御陵。先帝・天智崩御から「壬申の乱」での敗死まで約半年と短く、即位の儀式を行うことはできなかったと言われている。そのため歴代天皇ではなかったが、明治三年に「弘文天皇」と追諡された。また、伝説では「壬申の乱」敗戦後に、密かに落ち延び、御陵も各所(滋賀、三重、岐阜、愛知、神奈川、千葉)に伝わっている。
 

弘文天皇陵
弘文天皇陵
弘文天皇陵
弘文天皇陵
弘文天皇陵
大津市市役所、郵便局、消防署の裏に御陵はある。御陵拝所までは消防署(北へ)を過ぎ約一〇〇mを左折、
さらに約一〇〇m行けば「新羅善神堂の入口がある、そこから拝所に繋がっていた。
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