還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
近現代 一二二~一二四代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
多摩陵(大正天皇陵)
一二三代/大 正(たいしょう)天皇陵
諱/嘉 仁 よしひと(明 宮・はるのみや)
在位年/西暦一九一二~一九二六年
陵形/上円下方
皇居/宮城(東京府)
所在地 多摩陵 東京都八王子市長房町 武蔵陵墓地
最寄駅 JR・京王「高尾」下車、約2.5km、徒歩約40分。
中島・八幡社(大正天皇祭神・愛知県岡崎市)
今回は「123代・大正天皇」の足跡を求め、「大正天皇」を祭神にいただく愛知県岡崎市「中島・八幡社」に参拝。名鉄・名古屋本線「名古屋」より「新安城」で西尾線に乗り換え「桜井」に到着、約45分ほどの電車旅。ここより目的の「中島・八幡社」まで約5.3km、徒歩で1時間半ほどの道のり。駅より住宅街を抜ければ田園地帯が広がる県道292号を東南に進む、途中「矢作川」小川橋を渡れば道のりの約半分。直進を続け用水路らしい小川「安藤川」を越えれば「中島集落」の入り口に着く、集落の中心部に「中島・八幡社」がある。
この「中島・八幡社」は「大正天皇・大嘗祭」の「悠紀斎田」に選ばれ、「大正天皇」を祀る「大正宮」が鎮座する神社。「大嘗祭」とは、皇太子から天皇へと即位して、始めて行う「新嘗祭」のことをいう。また、宮中の「悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)」それぞれで「天照御大神」と天皇は同一体となる宮中祭祀が執り行われ、その年の「新穀」を口にし「三種の神器」を手にすることで真の天皇となられる。その「新穀」に選ばれたのがこの神社。
<参考>悠紀殿へ神饌・新穀を治める田を「悠紀田」、主基殿へ神饌・新穀を治める田を「主基田」と言う。
田園地帯が広がる中島集落に、こんもりした杜が見えた「八幡社」だ。
創建は1398年(応永5年)と古くからこの地に鎮座している。
本堂の右手に稲荷社、その横に大正天皇をお祀りする「大正宮」があった。
小さいながらも綺麗に祀られている、地域の住民から大切にされているのが分かる。
向かいには「新穀」の倉庫だったのか?「悠紀斎田記念倉庫」という蔵が立っていた。
悠紀の里(愛知県岡崎市)
「中島・八幡社」より駅に戻る方向、約550mに「悠紀斎田」が残っている「悠紀の里・地域交流センター六ツ美分館」に向かう。ここでは毎年6月、大正天皇即位時の「大嘗祭・悠紀斎田」の田植えを起源とする「六ツ美悠紀斎田お田植えまつり」が行われている。その祭は岡崎市の無形民俗文化財に指定されている。
集落を抜けて県道43号に出ればすぐに分かった、なりやら立派な建物だ。
石碑にも色々書かれている・・・、歩き疲れてなんとなく撮影だけをした。
建物の前にはグランドらしきものがあり、その横に「六ツ美悠紀斎田」がある。
立て札が立っている、流石に宮内庁ではなかった(笑)。田植えをした稲らしきものがあるが・・・私にはわからない。