還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第二十回 飛鳥時代 三二代崇峻天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみた
い。

写真取材 赤木 賢二
 
 

倉梯岡陵(崇峻天皇陵)

崇峻天皇陵
拝所前の駐車場だ、きっと集落の人たちが砂利を敷いてきれいに整備しているのだろう。

 
三二代/崇峻(すしゅん)天皇陵
和風諡号/泊瀬部天皇 はつせべのすめらみこと
在位年/西暦五八七~五九二
陵形/円丘    
皇居/倉梯柴垣宮(奈良県桜井市)

所在地 倉梯岡陵 奈良県桜井市大字倉橋
最寄駅 近鉄大阪線・JR桜井線「桜井」より  バス「倉橋」下車すぐ

 蘇我馬子に擁立されて即位したが、後に蘇我氏との関係が怪しくなり、最後は馬子が放った暗殺者によって暗殺され、その日のうちに倉梯岡陵に葬られたと古事記に書かれている。御陵は円墳といわれているがよく判らない、拝所前には駐車場があるので車での訪問が便利。また、歩く場合は「桜井」から「多武峰街道」を通り徒歩約五〇分の歩き旅。途中「上之宮集会所」の看板がある辺りから街道の雰囲気が感じれる。
 

崇峻天皇陵
拝所の柵の前から、近寄れるのはここまでだ。陵墓まで以外に離れている。
崇峻天皇陵
崇峻天皇陵
御陵の半分を取り巻くように流れる「寺川」、思ったより清流だった。

 
 
倉梯柴垣宮

倉梯柴垣宮
倉梯柴垣宮
御陵より徒歩約七分で倉梯柴垣宮伝承地の表示板、その近くから二上山を望む。
倉梯柴垣宮
伝承地と言われるグランビレッジ倉橋の中にある「芝垣の宮広場」だ、いにしえの宮をイメージしたのだろうか。
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