還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
追尊天皇陵とは思えないほどの御陵
尊号/春日宮(かすがのみや)天皇
御名/志貴皇子・施基親王
生没年/西暦668年(?)~716年(霊亀2年)
時代/飛鳥時代から奈良時代初期
続柄/天智天皇(父)、光仁天皇(子)
陵名/田原西陵
陵形/円墳
所在地 田原西陵 奈良県奈良市矢田原町
最寄駅 近鉄「奈良」より奈良交通バス「田原御陵前」下車。約450m、徒歩約5分。
「志貴皇子(春日宮天皇)」は、「三八代・天智天皇」の第七皇子として誕生した。「壬申の乱」を経て、皇統が「天智天皇系」から「天武天皇系」に移ったことで、皇位継承とは無縁の生涯を送る。政より和歌などの文化芸術に生きた人生だった。万葉集には「志貴皇子(春日宮天皇)」の歌が六首も収録されている。
七一六年(霊亀二年)に薨去、その後、約五〇年の歳月を経て七七〇年に「志貴皇子(春日宮天皇)」の第六皇子「白壁王」が皇嗣に擁立され即位し「四九代・光仁天皇」となった。天皇の実父として「志貴皇子」は「春日宮天皇」の追尊を受けることとなった。
その御陵は、奈良市矢田原町西山「田原西陵」東西約三八m、南北約四〇m、高さ約一〇mの円墳。
近鉄「奈良」から奈良交通バスで約25分で「田原御陵前」に着く。
停車場のすぐ横に御陵への参道入り口があった、さすがは「田原御陵前」停車場だ。
石垣に囲まれた参道を歩き出せば拝所が見えてきた。
石垣に囲まれた参道を抜ければ、田畑に挟まれた参道になる。奈良らしい風景に思える。
追尊天皇陵とは思えない立派な御陵だと思う。ただ、来にくいのが難点だ・・・、また不敬な発言をしてしまった。反省。